障害者差別
やはり障害者差別の本質は、施設にあるのだと思う。
町でいろんなトラブルが起こる。
けれどもそれらはすべて人前で起こる。
だから、衆目にさらされることで、社会に何らかの動揺をもたらしうる。
けれども、施設内で起こることは、たとえ職員のネグレクトによる見殺しであろうとも、一切問題にならない。
今、施設(の管理者)と大きくもめている。
たとえ施設内で、入所者の人権侵害があったとしても、救済の手立てはほとんどない。
施設という大型組織は、それを隠し通せるだけの権威をもっている。
施設の理念には、利用者の自主性と主体性を尊重するという文句が大きく掲げられている。
しかし実態は、すべて施設管理者の判断で入所者の生活・行動が決定される。
見えないところで何かをしたら、お仕置きがまっている。
今日は、ある知的障害者と夜遅くまで格闘。
怒声の浴びせあい。
今日の彼はかなりいっちゃっていた。やばい目つき、声。
病院(施設)なら、明らかに注射を打たれている。
それでもなんとか、奇遇もかさなり、彼は帰宅。ぼくも帰宅。
けれども、何かけっこうすっきりしている。
街の中で起きていることだから。
社会に迷惑をかけまくりの彼とともに、
電車の中で、事務所の前で、信号待ちの交差点で、怒鳴りあいながら、日々を送っていこう。