『良い支援? 知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援』 

良い支援?―知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援

良い支援?―知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援

 3年ほど前になるのか、JILの総会に介助者として東京に同行した。代表者会議か何かの時間帯のおり、その他の障害者や介助者のために別室である研修(講座?)が用意されていた。研修内容は「知的障害者の自立生活」についてであり、講師は東京の東久留米にあるグッドライフというCILの女性コーディネーターであった。大勢の障害者を前に一人の健常者が話すということが、さすがにJIL総会における研修であることからしても、少々驚きであったが、さらにその話しの内容はぼくにとってはきわめてインパクトのあるものだった。

 当時すでに何人かの知的障害者のガイヘルに入っており、その際はいわゆる「指示待ち」の介助では通用しないことは自明のことであり、はたして、街中でときに暴れたり人に手をだしたりする彼らを前にして、いかなる介助がありうるのか、何がよいのか・悪いのか、ともかく手探りの体当たり状態であり、日々悶々としていた。そしてそもそも「自立生活」という概念も、知的障害者にとってはかなり厳しいものだろうとも考えていた。
 そのとき、この研修を通じて、そういった彼らでも、自立生活がありうるのだと教えられ、そしてその実践をビデオを介して目のあたりにしたとき、何かがぼくの中で変わったと思う。そうして、介助というもの、なかんずく「見守り介助」の意義をとらえなおしたものである。
 その研修は1、2時間のことであったけども、その記憶をとどめたまま、2年前の冬になるだろうか、JCIL等で行うシンポジウムの準備をきっかけとして、東久留米のグッドライフを訪れる機会があった。目的はまさしく「知的障害者の自立生活」について、直接現地にいってお話をうかがうためであった。知的障害者の自立生活、それもグループホームや作業所といったかたちではなくあくまで一人暮らしというかたちにこだわって自立生活を推し進めている地域は、日本ではほぼこの東久留米周辺にしかなく、その現地の人々と出会えるのはぼくにとっては心高鳴る経験であった。そのときピープルファースト東久留米(ジャパンの事務所)にもうかがうことになり、そしておそらくぼく個人としてはそれが縁で、ピープルファースト京都にも関わるようになり、そして今度の2010年に京都でもピープルファースト全国大会をやることになったのだと思う。また、知的障害者の自立生活についてなどの論文を書いておられた寺本晃久さんにも出会ったのもこのときの東久留米訪問がきっかけであった。
 さらに、去年の秋頃、「かりん燈」における介助者の生活保障を求める運動の中で岡部耕典さんに出会い、そして東京多摩地域で自立支援に関わる人々が集まるパーソナルアシスタンス☆フォーラムに参加し、ここの方々と交流をもつことにもなった。そしてここで紹介する『良い支援?』はまさしくそこで交流することになった人々の実践や基本的な考え方を記録した本であり、ぼく個人としてはかなり思い入れのある一冊である。


 知的障害者の自立生活は、この日本ではまだまだ進んでいない。本書中にもあるように、知的障害と判定されている人(54万7千人)のうち、およそ4分の1にあたる12万8千人が入所施設に入っており、また18歳以上に区切れば3分の1の人が施設入所している。また地域で暮らすといっても、ほとんどが家族、グループホーム、作業所といった「ハコ」を前提としており、一人暮らしを実質的に推し進めていこうとする動きはあまり歓迎されないのが現状である。
 この本の中では、一つには、たとえ知的障害があっても20才くらいになったら親元を出よう、そして一人暮らしをはじめていこう、と言われるようになることが当たり前になっていってほしいという強い思いがある。そして社会の人々が・支援者が、そうして社会に出てくる人々の生きる姿に共振・共鳴し、自らも生き続けることを確認する、そしてお互いに生きていることを確認しあう、そんな連帯・共生の在り方が模索される。
 じっさい、多摩市で長年「ともに生きる」ことを模索してきた岩橋さんは、「今は親元で生活している知的当事者やその家族の中にも、「自立生活」を望む人が増えていて、「30歳までには自立」という声が、日常会話の中でしばしば聞かれるようになりました」とも述べるようになっている。

 前書きにあるように、本書は、ほとんど頼れる手本もないなか手探りで実践を経てきた人々の記録であり、もちろんそのプロセスには、「…毎日のように皿を投げたり走っている車に向かっていったりした。夜中の3時頃に抜け出して下着のままコンビニに押し入って警察に保護されたり、近所の家の窓ガラスを割ったり、銭湯のガラスを割ったり、店の陳列棚を倒したり、駅の非常ベルを押したり、レストランでガラスのコップを投げて割ったりした」といった体験談もある。そうした体験を経ながらでも、とりあえず社会の中でなんとかいっしょにやっていこう、なんとか長くつきあいながら、お互い模索しながら、生きていこう、という、共感というのか、共鳴というのか、介護者含めて、社会からちょっとずれていても生き抜くぞ、というある種の意思があるように思う。

 従来ならば障害者自身を「訓練」で社会に適合させようと考えられてきたが、この本で試されているのは、むしろ社会であり、支援者である。「支援」のあり方である。ここに見られる知的障害者の自立生活と支援の運動は、もちろん自立生活運動のある意味で延長上にあるのだが、ある点では、自立生活センターの思想(消費者主義の側面)とは一線を画している。新田勲さんの「双方がいのちを看あっていく関係」が参照され、また「障害者と専従介護者がお互いに相手の生活に責任を負う」とも言われる。さらにまた知的障害者の自立生活プログラムについては、「当事者自身が自立生活を獲得していくためのプログラム」ではなく、「当事者が自立するために必要となる支援の側のプログラム」という側面を照射してみることが提案される。

 もちろん、「身体」だからこう、「知的」だからこう、というのは、だれしもあまり好きな言葉ではないだろう。ただ、表面的にあらわれる言説が、身体障害者の自立と知的障害者の自立とで変わってくるものがあるとも思う。それでも、おそらく両者には根っこで共通するものがあるだろうし、もしそこを人間同士の絆というなら、それがこの本ではかなり前景に出て語られている。
 末永さんは、「当事者に聞いてはならない」とか、「遅刻しない介助者にいい介助者はいない」という不思議な法則についてまで語っている。おそらく教科書的にはこれらは許されないことだろうし、介助者の中には誤解する人も多くいるだろうが、しかし長いこと障害者によりそいながら介助に携わっている人々には、こうしたことの意味はなんとなくわかるはずである。
 
 障害者、介護者、福祉に関心のある人々それぞれが、さまざまな側面から読める本である。ただし、書かれた言葉から伝わるものは一部であり、面々授受というのか、生身の人間同士の直接的な出会いの中からつむぎだされるものの大切さが語られているようにも思い、そしてまたぼくも直接の出会いを通して影響を受けてきた。この本の中では、ひょっとしたらと思うのだが、すでに多くを経験してきている人にとっては、言葉にはあまりされていないけどむしろ自明のことが語られているのかもしれない。