『介助者たちは、どう生きていくのか』

介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み

介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み

【目次】
第1章 とぼとぼと介助をつづけること、つづけさすこと
第2章 障害者ホームヘルプ制度 ― その簡単な説明と課題
第3章 障害者介護保障運動史―そのラフスケッチ?70年代青い芝の会とその運動の盛衰
第4章 障害者介護保障運動史―そのラフスケッチ? 
                公的介護保障要求運動・自立生活センター・そして現在へ
第5章 障害者運動に対する労働運動の位置と介護保障における「労働」という課題
第6章 障害者自立生活の現在的諸相―介助者・介護者の関わりのあり方から見て
あとがきにかえて―介助者たちは、どう生きていくのか

 ぼく自身が、縁あって本を出すことになった。上記の『介助者たちは、どう生きていくのか』であり、今年2月末に刊行されたばかりである。自分自身の本についてこの欄で書評を書くのは変な気もする。けれど、この本に書かれていることは、現在の、そしてこれからの自立生活運動にとってとても大切なことであり、自立生活運動にとってはここ数年出た本の中ではもっとも重要な本の一つだと、ぼく自身は考えている。だからこの欄でも、ぼくとしてはとりあげざるをえず、手前味噌になる点、ご容赦いただきたい。

 本書は、「介助者たちは、どう生きていくのか」という、筆者個人の、自分自身に関わる問い・問題意識からスタートした本である。けれど本書で描かれているのは、「介助者」に関わることだけではない。実は、自立生活運動のある重要な一側面がこの本に描かれている、そういう読み方もできる。
 この本で筆者は、介助者の現状と歴史をつぶさに描いた。しかし当然に、そのとき、自立生活運動の中で介助者はどういう位置にあったのか、そして現在どういう位置にあるのか、介助者は自立生活運動の考え方の中で、かつて何を感じ・考えながら運動に関わっており、また現在ではどういう気持ちで介助に入っているのか、また運動において介助という仕事はどこでどのようにあらわれたのか等々の問いに直面し、その意味で、深く自立生活運動と向き合い、それと正面きって対峙することなしには、この本は描きえなかった。だから、この本は自立生活運動のある側面 ― 障害者介護保障運動に関わる側面、および障害者がいかに健全者・介護者・介助者と言われる人々と出会い、向き合ってきたか(そして、その裏面で健全者・介護者・介助者たちは何を思い活動に携わってきたか、そして現在何を思い働いているのか)という側面 ― を描いた本である。
 そしておそらく、そうした側面について、ここまで広範かつ具体的に描いた本は、少なくともここ十数年の間には存在しなかった、と言っていいと思う。
 本書では、かつてそして現在の、さまざまな団体や人々が登場する。簡単にあげるだけでも、神奈川青い芝の会、全国青い芝の会、関西青い芝の会連合会、リボン社、グループゴリラ、東京青い芝の会、大阪青い芝の会、在障会、公的介護保障要求者組合、ヒューマンケア協会、自立生活センター立川、自立生活センターグッドライフ、全国障害者介護保障協議会、メインストリーム協会、あるいは現在普通に働いている介助者たち等々…
 これらは、最近では一まとめに「自立生活運動」にくくられることがあるが、実際は、一まとめにされるほど自立生活運動は貧弱ではない。こうしたそれぞれの団体がそれぞれなりに自我を発揮しながら、ときに相互にぶつかりあい、いがみあい、そしてときにプラスに影響しあい、そうして運動が深化、進化、発展を遂げてきた。そして、それぞれの運動団体の中で、健全者・介護者・介助者たちはその団体の思想潮流に規定されつつ、ときに自己主張しつつ、ときに過ちをおかしつつ、ときに双方協力しあいつつ運動に関わってきた。これまで、あまりにもそうしたことの全貌については知られなさすぎた。
 おそらく本書を手に取る人々のほとんどは、ごく少数の事情通を除いて、これまで自分が関わっている中では知らなかった考え方、事実等に出会い、ある種のインパクトを受けると思う。それは自立生活運動の多様性の証である。運動はその都度その都度、さまざまな思想潮流がぶつかりあい、発展してきた。「自立生活運動は進化する」。これはメインストリーム協会代表廉田氏の言葉であるが、まさにそのままに、運動の進化過程を本書を通じて見ることができるであろう。

 筆者はたまため縁あって、本書を書くことになったわけだが、現在筆者がが知っていて大事だと思っていても他の人は知らないことが数多くあり、ぜひともそれは障害者福祉、障害者自立生活運動に関わる人々には知っておいてもらいたいとも思っていた。伝えるべきことは確かにあった。
 筆者が自立生活運動に触れたのは、2000年にJCILで介助者として登録したのが最初である。当初はバイトであり、これが現在の自分のライフワークになるとは思っていなかった。2003年の「支援費バブル」をへて、ゆえあってJCILの職員となった。以降、JCILで自立生活運動の事務局員、介助コーディネーター、介助者等を務めている。2006年から「かりん燈」という介助者の会で、介助者の生活保障を要望する活動をはじめた。
 たまたま運動に関わる立場にあったからだと思う。これまで全国の多くの団体や人々に出会うことができた。筆者の属するJCILはじめ、JIL、DPI、全国障害者介護保障協議会、公的介護保障要求者組合、グッドライフ、ピープルファースト、障大連、メインストリーム協会…等々。しかし、確かにみな「自立生活」という理念は共有するものの、そこにいる人々(障害者・健全者ともに)の印象は大きく異なっていた。そして、介助や介護に対する考え方も大きく異なっていた。運動は一枚岩で成立しているのではなかった。それぞれの考え方があるからこそ、運動は厚みをもつのだった(ときに対立の中で仲たがいすることもあるだろうけど)。
 障害者も介助者も、普通に生きている限り、多様な考え方や人々に出会う機会はそう多くはない。他団体の人々と会うにしても気の合う人々とだけ会うということがやはり多いであろう。けれど、わたしたちはもっとごちゃごちゃしたルーツや社会関係の中で生きている。ともすれば独りよがりになり行き詰りがちな運動団体、福祉団体の傾向の中で、筆者は多くの人々がごちゃごちゃしたルーツや社会関係に触れ、考えることが必要だと思っていた。「自立生活」をめぐって、これまで障害者も健全者も多種多様な関わり方があった。そしておそらくこれからもあるだろう。もしあなたが、あなたの団体が、一種の行き詰まりの中にあるとしたらこの本を開いてほしい。この本は、人々の実践につなげるための本、障害者地域自立生活の展望へとつなげたいという思いから書いた本である。

 現在、中央では障害者制度改革推進会議が毎月2、3回開かれ、障害者施策の抜本改正のために日夜改革の準備が進められている。2010年民主党政権樹立に伴う推進会議の設立は、確かに障害者運動においては革命的であった。これまでマイノリティであった障害当事者たちが中心となり、新たな制度改革が進められようとしている。一方で厳しい政治情勢もある。推進会議はないがしろにされ、やはり障害者施策は単なる政争の具に落ちようとしている。改革の実現のためには、何としても地域から障害者および関係者たちが声をあげ、たとえ政権交代なり何がおきても、改革の流れを続行させることが必要である。
 ところで一方で、わたしたち地域で生きている者の日常生活はどうだろう。障害者の自立生活は進んでいるか。自立生活に、人に言えないしんどさをかかえていないか。障害者及び介助者の運動離れが進んでいないか。介助者の心離れが進んでいないか。「共生社会」の実現は進んでいるか。
 改革で実現できるのはあくまで制度レベルの形式的な話である。結局中身はわたしたちがつくっていくしかない。制度があってわたしたちがあるのではなく、わたしたちがあって制度があるのである。
 そのわたしたちの生き方をどう展望するのか。本書では答えは出していない。けれども、考える材料は提示したつもりである。不十分な点は確かにあろう。それでも、今後の障害者の地域自立生活や共生社会の実現に向って、本書が一つの足がかりになればと切に願う。

(日本自立生活センター機関紙「自由人」69号掲載)