書評『困ってるひと』

困ってるひと

困ってるひと

『困ってるひと』(大野更紗 ポプラ社 2011年)
 
「先生(お医者の)は自分の価値観にあわない患者は徹底して切り捨てる。ここで諦めて撤退したら、同じことのくりかえし。ふんばろう。「清く正しく美しく」死ぬまで苦痛に耐え散りゆく「日陰の花」に、、、なるかボケェ」(twitter、@wsaryより)
 
 『困ってるひと』。この本は、1984年生まれのうら若き20代新型難病女子の壮絶・キテレツな、日本最深部の医療機構探訪ノンフィクション物語。
 30代草食系(実は肉食系)男子のぼくとしては、20代女子の行動と表現、エネルギーの爆発は、驚きの連続。なんかとっても新鮮な気持ちで、新世代女子の生き様を見た思い。
 大野さんは、福島県の、ムーミンたちが暮らしているような、山奥の谷間に生まれた村一番の(?)才女。福島の名門女子高にいき、そこで周囲に埋もれてしまうこともなく、キテレツさを残したまま上智大学へ。上智にいってから、なぜか学業はほっといて、ひょんな出会いから、ビルマ難民支援にはまり、身を費やすこととなる。大学院にいき、いよいよ本格的に難民支援へと思った矢先、世にもチョー珍しい難病を発症する。そこから、この本では、彼女の壮絶な病院放浪記がはじまる。彼女自身が、先進国日本における、医療難民当事者となる。
 難病というのは、「筋膜炎脂肪織炎症候群」と「皮膚筋炎」、というらしい…
 そんなこと言われても、だれもわからない。たいていのお医者さんも診断つけられない。なぜかチョーまれな、難病にかかってしまった。
 自己免疫システムが暴走する症状。身体が勝手に暴走する。皮膚が勝手にこわばる、壊れる、腫れる、膨らむ、何か液を出す、潰瘍だらけetc.
 アトピーで寝たきりになった経験のある30代男子としては、免疫システムの暴走には何ほどか理解がある。けど、彼女の症状は壮絶をきわめる。激痛を伴う、関節も動かなくなる、高熱が出続ける、身体が勝手に崩壊していく…
 いくつかの病院に通い、お医者さんに症状を見てもらう。けど、だれも診断できない。適当な検査をして、うーんうーんとうなり、結局、手におえないとはあまり正直にいわず、様子を見ましょう、実家にもどられてはいかがですか、というだけ。こんなに苦しんでるのに、お医者さんは何も助けてくれれない。入院もさせてくれない。おうちで安静に、としかいえない、安静にしていられる状態じゃないから、病院にきているのに!
 さて、そんな彼女も、ついにある病院・お医者さんたちと運命的な出会いをする。この出会いがなかったら、「早晩、享年25歳、チーンだったわい」とのこと。この病院は、原因不明の症状を発症している彼女を受け入れてくれた。入院させてくれ、もう大丈夫、と言ってくれた。
 けど、ここから、閻魔さまも真っ青な、検査地獄の日々がはじまるのであった。
 ここから彼女が経験することになる医療検査は、まさに現代版合法的「拷問」。検査部屋は、ビルマの政治囚が刑務所で受ける拷問部屋を連想してしまう。電極やら、クギのような針やらが散乱している。
 いたい!いたーい!ほんまにいたい!
 なぜかくもいたい検査を次から次へと受けねばならないのか!
 彼女の紹介している検査例
 閉鎖・騒音地獄のMRI。乳を圧搾されるマンモグラフィー乳がん検査)。口や肛門にながーいチューブをつっこんでいく内視鏡検査(胃カメラ、大腸検査)。腰骨にぶすっと太いクギのような注射をさし、骨髄液を採取する骨髄穿刺(マルク)。さらに体のあちこちの筋肉に電極のついた針を刺し、グリグリする筋電図。そして、麻酔なしに、人間の皮膚を切り裂いていき、筋肉の組織を切り取るという筋生検(麻酔をかけると筋肉組織が変質してしまうらしい)。
 こうした、もろもろのチョー激痛検査を日々繰り返し受ける。なんでこんないたい検査ばっかりなんだー。けど、生きていくこと自体が、とってもしんどい。体を横にするだけで、激痛が走る。生きてるだけで、激痛地獄。その上さらに、医療検査によるきわめつきの激痛地獄。
 こうして、ようやく、彼女の症状に対して、診断名がつけられる。それが先に紹介した、漢字もよく読めない世にも稀な難病。
 こういった難病は、現代では根治のすべがない。だから、対処療法で症状を緩和させることができるくらい。ステロイドの大量投与作戦を敢行する。ステロイドアトピーによく効くけど、副作用がとってもこわいという、あれです。
 このステロイド大量投与作戦もあえなく失敗。彼女、目の玉ぎょろぎょろ、ロックト・イン(locked-in)の危篤状態となる。体がついていかなかった。
 こうした経験を繰り返す、闘病生活。ステロイドの適量投与で多少安定するにしても、身体は、ぶっこわれていく。彼女のおしり、腫れて膨らんで、そして破裂して、穴があいて、半分なくなっちゃった!(おいおい、普通に書くなよ!)病院の連戦練磨の強者医師たちも、どーしよーもなかったらしい。
 さてさて、こうした闘病入院生活も、そのうち倦怠期がくる。
 新型難病女子は、援助のワナにはまる。入院生活を、友達の援助に依存するが、友達も、もう限界!もうムリ!となる。ビルマ難民支援を続けていた彼女は、みずから援助される側の厳しさを知る。
「「救世主」は、どこにもいない。ひとを、誰かを救えるひとなど、存在しないんだ。わたしを助けられるのは、わたししかいないのだと、友人をとことん疲弊させてから、大事なものを失ってから、やっと気がついた」。
そして、
「ひとが、頼れるもの。それは「社会」の公的な制度でしかないんだ。わたくしは、「社会」と向き合うしかない。わたし自身が、「社会」と格闘して生存していく術を切り開くしかない。難病女子はその事実にただ愕然とした。」
 けれどもその事実に気づいた新型難病女子は、また日本の福祉制度の複雑怪奇・貧しさ・不在を知る。日本は先進国だからといって、安心することなかれ。難病なんて、厚労省の局長のさじかげん一つで、医療補助の対象となるかどうかが決まる。厚労省の局長の色眼鏡にかなわなければ、チョー金持ちしか生きていけないのが現代日本。いいお医者が見つかるかどうかもかなり微妙。さらに医者がいても運が悪いと、助けてくれる制度がない。
 障害者手帳の交付だって、ご存じのとおり、めっちゃいい加減。困ってるかどうか、苦しんでるかどうかなんて関係なく、関節がどれくらい曲がるか、とかで判定されるこの世の中。なめんじゃねーよ。
 この後、新型難病女子は、ペ・ヨンジュンチェ・ジウもほっぺが真っ赤になるような、恋をする、デートをする。そして、医者や役所(福祉制度)とも格闘をへながら、病院を出ての自立生活も遂行する。そのへんの、物語のクライマックスのことは、本を読みながら、じっくり味わってください。
 「ひとりの人間が、たった一日を生きることが、これほど大変なことか!」
 彼女の実感のこもった言葉だが、それでもなお、彼女は「こんな惨憺たる世の中でも、光が、希望がある」と語る。たまたま難病当事者となった彼女。彼女の経験とメッセージはとてもすばらしい。多くの難病の人たち、あるいは別の困難を抱えた人たちが、実は知られることなく苦しみの果てに亡くなっていっている世の中である。彼女はたまたま表現力を兼ね備えた新型の女子であったというだけだ。
 わたしたちの身近にも、きっといる、いろんな事情で「困ってるひと」が。そのひとたち、そしてわたしたちが、いかに希望と光を見つけていけるか、それがわたしたちに課せられている課題だ。その課題に身をもってとりくんでいくことが、彼女のメッセージに応えることだと思う。
 
 (JCIL機関紙「自由人」70号掲載)