「ピープルの人たちに聞いてきてね。」

「お父さん・お母さんが死んだあと、Tちゃんどうやって生きていくのかピープルの人たちに聞いてきてね。」

先週末にピープルの年末交流会があり、そこに来たぼくがよく介助に入っている少年がこんなことを親から言われてきたそうだ。

なんというのか、障害者が生きていく上でのさまざまな艱難辛苦を日頃から目の当たりにしているので、そのことに思いめぐらすと、こういった親の言葉もどこかじーんとくる。

彼のところには、JCILからぼく含めてけっこうダメっぽい介助者が行くのだけど、親の方もなぜかそれなりに信頼してくれているようで、ちょっとうれしい。

『良い支援?』の続きになるかもしれないが、彼なんかは、こちら側がけっこうそれなりにそれなりにしておけば、時期がきたらそれなりにスムーズに一人暮らしをはじめていくのかもしれない。

同程度の障害をもつ人たちのほとんどが施設で暮らすことを当然視されているのに比べて、彼我の差を感じる。

最近はJCILのピープル支援もはじまりつつあり、なんかその部分は身体と知的がうまいぐあいに融合していっている部分もある。

うまくいけばいいなぁ。


先週末は、土曜日には京都で障害者権利条約勉強会があった。

けっこうとってもいい会だったと思う。

DPIの事務局の方が講師で、お話もそれなりにわかりやすく、障害者の心にもそれなりに響いていったように思う。

お話がよかったこともあるけど、わりと大勢の障害種別の人々が集まったこともよかった。

やっぱりお互いわからないことも多く、それでいて団体間の確執などもけっこうあるので、なかなか交流はできないのだけど、こういう機会にでもちゃんとお互いにお互いの話を聞いて、わかりあえていければいいと思う。

障害者権利条約に対して、質疑応答の時間で、いろんな人が当事者として発言していたのもよかった。

権利条約にしろ、差別禁止法にしろ、こうした当事者の声がきっちり上がり、それらを包括し改善していけるような具体的実効性のあるものにならないと、絵にかいた餅にしかならない。

単に外務省主導で内容なく条約を批准してもほとんど意味がなく、やはり当事者の力で社会を変えていくことと連動しつつ批准なりなんなりしていかなければならないな、と意を強くする。