ほんやら洞通信…

「はたして八文字屋の店主に「それ」があるやなきや。それは読者諸氏の判断に委ねる。」

ほんやら洞通信への寄稿文を書くためにその準備作業として丸山真男を継続的に読書していることが最近の心ひそかな日々のレッスンであり、また心のなぐさめ、というか趣味の一種でもあり、その寄稿文のラストを上のようなかたちの文章にまとめたらどうかな、と、さきほどほんやら洞(=八文字屋)の店主に会い、その姿を眺めていてからしばらくして思い至ったものだ。

上の文章で言う「それ」とは、自我という外面的には体制に包み込まれるものの内部にあってかえってその自我の深部において逆に体制を包み込んでしまうところの精神のことを言う。

いわば革命の精神であり、あるいは自我の内面から体制に反発する反逆の精神である。

その精神とは、決して(たとえ近代主義といわれるものであろうとも)自我の外面から与えられ、単純に自我がそれに順応してしまっているところの思想類型(イズム)ではない。

この点で、いささかも内面の葛藤をへずして、端に民主主義が制度として唱えられる国において近代民主主義精神を植え込まれていると認識している(むろん何も意識せずして体制に順応している人々は論外として)戦後世代の若い人々には、この「それ」は宿っていない。

そうしてまたこの「それ」こそが、前にちょっと述べたところからすれば、自我の内面かつ深部において「忠誠」なり「良心」なりを徹底追求していき、それによりかえって新たな社会形成の力となるところの精神である。

忠誠と反逆を再読しながら、丸山自身がこの「それ」を論じようとしているのであり、まさにこの「それ」を取り上げ主題化して論じていくことが、ぼくらの世代にとっても必要な作業なんだな、とこんなことを論じていけたらいいな、と思いつつ、夜道を駆け抜けていた酔っぱらいでした (^^

今年もよろしくお願いします。