「社会人としての常識」

昨晩は、昨日も書いたとおり、ある知的障害者と大もめ。

怒声をかなり浴びたため、あまり寝つけず5時前に目が覚める。

今日は、朝早くから、とある施設入所者のガイヘル。神戸に日帰り旅行。

ただの日帰り旅行だが、施設とこれも大もめ。

これを許可するだけでも、施設側はかなりしぶり、しかもこちらがそれなりに譲歩すると、優越感たっぷりに、外出させてあげているんですよ、感謝してほしいわよ、これからは私たちの言うことをちゃんと聞くのよ、って感じの、対応。

われわれアテンダントが施設のいいなりにならないと、ぶち切れするタイプの人々。

いうまでもなく、本人が施設の意向に従わなければ、指導、しつけの応酬。

ちょっと施設の言うなりになってあげると、あげくのはてになんというと、若い20代くらいの施設職員が50代の大人の障害者に向かって、

「ようやくKさんも社会人としての常識が身についてきましたね」と。

これは実は施設長の言い癖。「社会人として当り前じゃないですか」と常々言う。

しかし、施設入所者は、社会人か?

社会から疎外された人たち、見捨てられた人たちではないのか。

しかも、その人たちに対する一切の支援・サポートなしに、平気で「社会人の常識」を強制する。

それを守れないとすべて本人の自己責任にする。

本人ができないのがすべて悪いのだ、と本人たちを非難する。

そうして自分たちの支援の不勉強・不足はいっさい蚊帳の外。

あなたちはは何さまだろうか?

なおかつ、さらに私たちは障害者と対等だ、という。

なぜここまで感覚がマヒしているのだろう?