社会モデルヘルパー

ヘルパーという職種が、やはり世間ではあまりにも医療業界の底辺労働者として位置付けられている印象が強く、またほとんどの労組にしても、医療系に組み込まれているという事情もあり、ヘルパーを看護師の下位に位置づけ、医療の組織を前提としたうえでの待遇改善を求めようとしてるため、なんとかそういった組織的思考から逃れたいという意向が、ぼくの中に強くある。

日々、現場の実践の中で感じることだが、障害者解放ということは、そういった組織的思考から逃れることでもあると思う。

入所施設というものが、医療系の既得権益の温床でもあり、もちろんそこで看護師不足に悩み、十分なケアを与えることができていないという問題もあるものの、やはりそこでは医療組織と患者の健康管理が前提であり、ありていにいえば、患者の生殺与奪権は組織側に握られている。

そこから、どうやって利用者主体、患者主体というものを取り戻していくことができるか、すでにここ何十年にわたる課題であろうが、やはりまだまだ現在の課題でもある。

障害者運動においては、旧来の障害の「医療モデル」から「社会モデル」の変換を求め、障害者を地域社会に開放させようとしてきた。

閉じられた入所施設や作業所等で、日々絶望的な「訓練」を送るのではなく、現存の社会を自分たちでも生活しうる社会に改良していき、自分たちに必要な支援を社会に求め、それを実践させていく、そうした障害者運動は、そうした社会変革の運動態である。

そこで、ヘルパーにしても、しばしば「介護者」と「介助者」が区別され、「介護者」は、障害の医療モデルに対応し、障害者の健康管理をする人、「介助者」は、障害の社会モデルに対応し、あくまで社会で生きる障害者の自立の意思・意向のもとで、その個人の意向に従い働く人、と区別された。

と、まぁたいそうな言葉で述べてきたのだが、

医療モデル系のヘルパーは、すでに労組もできつつあり、ある程度厚労省の意向等にも準じつつ、ヘルパーの待遇改善を求めているが、残念なことに社会モデル系のヘルパーで待遇改善を求めている人は、今のところ「かりん燈」以外に存在しないように思われるのである。

そこで、「社会モデルヘルパー」として、われわれ自身を自己定義したいと思っているのである。

「介助者」という言葉でもいいのだが、けっこうあいまいに使われているし、「介護者」と自覚的に使っている障害者運動団体もあり、いちがいにその区別でいいとは思わない。

自立生活運動では「介助」と「介護」をあえてわけようとしたのだが、おそらくその区分には、ちょっと無理な恣意も含まれていたのではないか、と思う。

とりわけ、重度障害者・知的障害者の介助の場合、単純に自立生活運動で言う「介助」理念だけでは対応できないことは、かなり明白になってきている。

知的障害者の4分の1は入所施設に入っており、「できない」「ダメ人間」「役立たず」「迷惑」のレッテルは生まれてから死ぬまでつきまとうと想定される現状の中、重度者・知的障害者のための社会変革は遅れているが、、障害の「社会モデル」ということは追及されるべきで、彼らがまっとうにこの社会の中で生きていけるよう、みずから介助・支援に携わり、ともに壁にぶち当たり悩み考えていきつつ、社会を変革・開拓していかないといけない使命が私たちにはある。

なので、「社会モデルヘルパー」とみずから名乗り、その立場をこの社会の中で自覚的に選び取っていってもよいように思う。ちょっとかっこいいじゃん、オレ・ワタシって感じで。

君は、かっこいいよ。

やることは、まだまだ山ほどある。