筋ジストロフィー患者の医療的世界(伊藤佳世子)抜粋

以下、「筋ジストロフィー患者の医療的世界」(伊藤佳世子、『現代思想』2008年3月号)より抜粋します。

筋ジストロフィーの人、その関係者にとってはとても重要な文章です。

筋ジスの療養所に触れたことのある人ならだれしも心当たりのあることばかりです。

マイナーな雑誌に掲載された文章で、一般の人にはほとんど目に入らないと思うので、ここで紹介します。

病院内の実態が前半で紹介され、後半では、筋ジス病棟がもうかっており人員削減は不当であることが述べられています。

ちなみに、通称筋ジス病棟では、全国で約2000人の患者が療養生活を送っており、国立病院機構(旧・国立療養所)の筋ジス病棟は全国で26施設あるそうです。


筋ジス病棟=刑務所

山田富也氏は国立療養所西多賀病院に六年間療養生活をした筋ジス患者で、病院を出て、施設までつくるという偉業を成し遂げた。彼はその著書の中で筋ジス病棟を「刑務所」と表現している。「入院年齢は様々だけれど、多くの患者は10歳前後に入院している。甘えたい気持ちをいかにして抑えるのか、そのはけ口さえない入院生活は、刑務所以上に残酷でもある。なぜならそこには刑期がないからだ。表現が適切ではないかもしれないが、多くの患者が亡くなって退院していくことを思うと、全員が死刑執行を待っているようなものだ。選択肢のない人生は辛さより、悲しさに満ちていた」


病棟内の生活実態

[国立病院機構(旧・国立療養所)は政策医療を担う組織であり「直接的な福祉は対応しない」という立場をとっており]、医療提供しかできないという理由からか、いくつかの病院では夜もパジャマに着替えず、パンツ以外を着替えるのは入浴ができるときの週2回であり、食事介助の必要な人は朝のご飯がでないところ(栄養補助食品だけで済ませている)とか、全員刻み食のところもある。夕食の時間は職員の就業終了時刻にあわせるため16時半ごろである。車いすへの乗り降りの時間が決まっているとか、さらには部屋の端のベッド上の患者から順次座薬を入れて一斉に病棟全員が排便を行うというところもある。人工呼吸器をつけている患者は週に一度しか入浴できないというところや、ドアのないトイレで排泄をさせているところもあり、流れ作業的で簡略化した介護を行っている。
 また、基本的に外出は病院側の支援はない上、許可制である。ボランティアや友人や家族に恵まれないと外出もままならない状況である。患者の寿命は延びたが、病気の進行が止まるわけではなく、複雑かつ手間のかかる介助が必要な患者が増え続ける。ケアに時間のかかる重症患者の扱いを受けている人たちは、ベッドに寝たきりにさせられざるを得ない状況である。


退院の後ろめたさと「死亡退院」

筋ジス病棟の患者は全員誰かの介助なしにすごすことはできないし、実際に歩行している人がほとんどいない病棟ばかりである。人工呼吸器を装着している人たちが、三分の二以上のところもある。そういう状況の中で少ない介護側が多くの重度の患者(被看護者)を世話するとき、患者は「介護者をなるべく呼ばない」とか、「頼むことを最小限に抑える」努力をする。患者同士は常に具合の悪い仲間を優先して介護をしてほしいと思っていて、彼らを差し置いて、例えば落ちたリモコンを拾ってくれというようなナースコールはしない。その空気をよむことが病院で生きる知恵であり、長年の療養生活で染み付いた暗黙の了解になっている。その空気がよめなければ病棟社会でのはみ出し者と化す。常に具合の悪い患者がいるし、年に数人の仲間が死んでいくわけで、自分が最重度になるまでその環境は終わることはない。自分や仲間の機能低下や市の隣で、誰かの生きたままの退院の話は、常に後ろめたさの中で行われている。そうして、筋ジス病棟の患者は、ほとんどが長期にわたる隔離された出口のない病院での医療的生活管理の末に「死亡退院」をする。


ある入院患者の言葉

現在、国立病院機構下志津病院に入院している入院歴約30年の大山良子氏は次のように語る。「自分よりも具合の悪い人たちに、看護師さんが介護に行かれるように、無駄な介護を頼まないように生きてきました。女性のトイレは大変なので、水分を制限し、排泄の数も最小限に抑えています。私は女でも男でもないんです。病院ではそんなことをいっていられませんでした。20歳のころは男性職員に入浴や排泄の介助をされるのがいやで泣いていました。今は恥ずかしいとか、大分思わないようになりました。子供の頃からずっと患者で守られているけれど、社会人として認められてはいません。私はかわいそうな存在で、役に立つ存在ではありません。仕事も勉強もしたいと思ってきたけれこ、その機会がなかったです。私は介助をしてもらうから、だれとも対等になることはありません。学校でも友人とは対等ではなかったですし、こんな私のところに来てくれてありがとうと思っています。介助してもらう代わりにご飯をご馳走したりすることで成り立っています。」


筋ジス病棟はもうかっていて、病院経営に貢献している

国立病院機構南九州病院福永秀敏院長は「筋ジス病棟は、人の問題が三年間の移行措置でどうにか従前と変わらない収益をあげていますが、患者数の減はじわじわと進行していきそうです。(…)病院経営も大変になりそうです。旧療養所型の病院では、重心・筋ジスの収益を他の部分の赤字の穴埋めにしてきたわけですが、今後は次第にそのような手法はとれなくなります」と述べている。
 国立病院機構の会計方法は企業会計となっている。これらを読む限り、筋ジス病棟の収益は国立病院機構の赤字補填になっているらしい。政策医療の中心である筋ジス病棟と重症障害心身障害児・者病棟は税金も払わず、黒字である。したがって、国立病院機構で、筋ジス病棟と重症心身障害児・者病棟をもっている施設の医業収益率は高い傾向にある。筋ジス患者は国立病院機構の経営に大変貢献している上、日本の政策医療を担う病院の赤字補填をしてくれていることとなる。ありがたい限りであるが、果たしてこのお金の使い方はこれでよいのだろうか。筋ジス病棟や重症心身障害児・者病棟の黒字分がもしも他の部分の赤字補填をしているのならよくないに決まっている。筋ジス病棟の利益の黒字分は、筋ジス病棟に使うべきである。人員をもっと増やし、彼らにもっと尊厳ある生活をさせるべきだろう。重症心身障害児・者病棟とて同じことである。医療と生活の保障という名目で出されている費用が、他の部分の赤字補填に使われている事実は由々しき問題である。さらにこの図式は病院側にとっては患者が退院することは経営にはよろしくないという利害関係を生む。


自立した方が、元気になる

田中氏は自立してから、日光にあたるようになり、健康的な顔色になる。病院ではできなかった入浴も、周に二回以上している。毎日着替えをすることやストレスがないことからなのか、皮膚の状態がよくなる。車いすに長時間乗れるようになり、食事も普通食に近いものが食べられるようになった。また、院内ではMRSAの保菌者になったり、同室の人が風邪を引くとうつっていたが、今ほとんど熱を出すこともなくなったという。交友関係も増えて、趣味の友達や他の障害者とも交流ができた。現在は週5日メインストリーム協会という自立生活センターに通い、自立支援の仕事を行っている。


機能低下は、支援を増やせば感じなくて済む

身体機能の低下は現時点では止めることができない。しかし、それに伴う喪失感は、誰かが患者の機能低下を補う支援を増やせば感じなくて済む。そうすれば、いわばこの病気の宿命とでもいうべき、身体機能の低下とそれに伴う喪失感の二重苦と戦うだけの人生から脱することができる。患者がこの二重苦から逃れるための具体的な方策は、支援を増やし、人材を増やすことである。


筋ジス病棟はそれなりにもうかってるから、人員は増やせるはず

確かに前述した樋口氏のいう独立行政法人は、国策として人件費率を減らさねばならないこともある。しかし、どこをどう減らすかということは決まっていない。そもそも、国立・公立の病院は看護師の給与が高いといわれており、2005年医療経済実態調査における看護職員給与データ額でもそれは証明されている。…筋ジス病棟の人員を増やしても、他に減らせそうなものはありそうだ。少なくとも、人員を増やす財源がないという言い訳はできないはずだ。筋ジス病棟には病院の他の部門の赤字補填ができるほどの黒字があるのだから。