『足文字は叫ぶ!』書評

(新田勲著・全国公的介護保障要求者組合発行)

新田 いまのやり方は自立と言っても、親の介護から事業所の介護に変わっただけなの。
横山 自立生活センターが保護者になっているんだよね。ぼくらは親=保護者っていうのがいやでいやで仕方がなくて自立をしたのに、いまの人は親を求めているのよね。自立生活センターっていう親。人間ってね、楽なほうへ行きたっがっちゃうのよ。
新田 障害者自身の生きる意欲もなくしてしまうのよ。
横山 恐いのよ。「自立しなくてもいいんじゃないか」って感覚が若い世代からあがってくるんじゃないかって。「ぼくらがやってきたことはなんなの?」って。それが恐いんだよ。(p302)


 とんでもない本が出版された。限定500部の自費出版なので、もう手に入らないかもしれない。著者は公的介護保障要求者組合委員長の新田勲。障害者自立生活運動の影のドンのような存在である。あまり表だっては活躍していないようだ。JILや立岩信也の語る自立生活運動の歴史においても、その名が表記されて語られることはほとんどない。
 けれども、自立生活運動、特に重度障害者の介護保障運動は、彼抜きでは語れない。いや、重度障害者の現行の介護保障制度である「重度訪問介護」は、その前身の「重度脳性まひ者等介護人派遣制度」にはじまり、まさしく彼がつくりあげた制度なのである。今、重度障害者の介護が保障され、介護者が介護で飯を食えているのは、まさしく彼のおかげなのだが、そのへんのところは、この福祉の世界の中では、まるで忘却されている。
 そんななか、今、彼の言説・主張が脚光をあびている。この本も、借金しながら自費出版されたらしいが、いざその主張がメーリングリスト等で知られるようになると、飛ぶように売れ始めたという。
 分厚い電話帳のような本。赤い表紙にでかい足形がどかんと描かれている。重度障害者の新田勲は、この「足」の動きから言葉を発し(介護者がそれを読み取り、読み上げるかたち)、そして、障害者の介護保障制度を30年以上にわたり徐々につくりあげてきた。
 今各地で24時間の介護保障制度が成立しつつあるが、それに至る過程には、この新田勲の前人未到の活動があったわけである。
 まずその闘争の歴史、行政や社会との闘いの歴史をわれわれはきちんと認識しておかなくてはいけない。
 

全身性重度障害者の社会の自立とは、自立してそのとたん明日死ぬかもしれないという、死を覚悟しないとまったく自立そのものが出来ない時代で、行政も社会も意識そのものが24時間介護の全身性重度障害者の自立なんて不可能、とんでもない、国家、人類そのものが反対し、そっぽを向くという社会背景でした。(p53)

 そうした時代背景からの、死にものぐるいの活動の歴史、貴重な証言、資料が、まずこの本にはぎっしりつまっている。これだけでも、社会福祉にたずさわる人は、きれいごとの教科書なんか読んでないで、この本に目を通さないといけない。この社会が犯してきた組織的な加害・被害の歴史は、やはりきちんと学んでおくべきであろう。
 そしてなおかつ、そうして原点から運動をしつづけてきた人だから言える、強烈な現代批判もこの本の中で行われている。
 今や障害者自立生活運動の主流となっている自立生活センターへの批判も強烈だ。冒頭の会話はその一例。ちなみに対話相手は、新田さんのところで介護保障運動にたずさわってきた横山晃久(障害者の地域生活確立の実現を求める全国大行動実行委員長)。
 けっきょく、今自立生活をしている人といっても、その介護については事業所におんぶにだっこ、自立とは名ばかりの自立生活をしているにすぎない、それが今の事業所中心の自立生活の現状。つまり、「ここで言えば、家族から自立しても家族の身内の介護から、外の他人の介護に代わったに過ぎないのです。また、施設から自立しても、施設の職員から外の介護に代わったに過ぎないのです。」(p342)
 いったい「自立」とはなんなのか。気に入らない介護者をとっかえひっかえ使い捨てで使っていくのが「自立」なのか。(それは社会の人間関係における自立ではなく、いわば気まま・放縦〈ほうしょう〉・好き勝手ということ)。新田さんは、そこらへんについて、障害当事者にもきわめて手厳しい。
 だから彼は、「安易な自立はすすめるな」という。

自立というのはそこに介護保障があるからといって、自立するものでも、他人に自立を煽られ、すすめられて自立というものをするべきでは絶対ないのです。・・・自立というのは自分の命をこのまま行政や健常者の引いたレールの上に沿って終わらせていくか、それとも、そこからなんとしてでも自分の命のために命がけでレールを外し、自分の命のためにつくっていくか、そこからはじまるのです。(p132)

 そして、こうした文章は、いうまでもなく健全者・介護者も心して読まねばならない。そうした命がけの障害者を前にすることで、介護者も決して介護の問題は他人事ではなくなる。単に決められた時間に決められた業務内容をこなしていればいいというものではなくなる。

その介護者も自分が抜けたらこの障害者は死ぬかもしれないという思いのなかで、ともに生きるというところで、介護者も障害者も双方すごく大切な存在としてとらえ、そういうところで健全者のほうも真剣に福祉の問題は自分の問題と置きすえて考えていきます。現実に自分は腰痛になってそういうところでは他人事ではなく、行政に交渉しても心底の自分の生身の怒りの発言が自然に出てきます。(p53)

 新田さんの言う、重度障害者の「自立生活とは障害者と介護者双方がお互いを思いやる関係のなかでつくられていくもののことです」(p20)。
 だから、自立の介護は、決して障害者・介護者どちらか一方の問題ではなく、双方ともに責任をもった問題であって、それゆえに、新田さんが委員長である公的介護保障要求者組合は障害者と介護者の混成団体なのだ。
 ただし、それは決して安易な「対等」な関係などというものではない。

相手との対等な関係ということは、弱者と関わるとき、誰しもがみな思うことですが、こういう思いそのものが、白々しく、関わる人のうぬぼれなのです。・・・対等というより、そこでは、両者の立場の違いを、はっきりと双方が自覚した上で、そこは両者の思いやりのなかで、深く理解し合っていくしかないのです。・・・対等な関係というのは、双方の関係のなかで詰めあっていく努力をして、それぞれの立場の違いを自覚した上で、双方がお互いの生活をみあっていくという関係が無いかぎり、お互いに認め合った関係とは言えないのです。(p346)

 新田勲さんは、原点から運動を起こし、そして今も原点から問いを発し活動し続けている人だ。日本の自立生活運動も、今、自立とは何か、介護者との関係はどうしたらいいのかなど、さまざまな基本的な問題が問い直されはじめている。
 そうした問いの中から、これからの自立、これからの介護保障について考えていこうとしている人はぜひともこの本を手にとってみてほしい。もちろん賛否両論あるかもしれない。けれどもここには、今も、そしてこれからも輝きを失わない原石がちりばめられている。いのちの源がめらめらと燃え盛っている。
 ちなみに、『足文字は叫ぶ!』は、数ヶ月後に「現代書館」から版を改めて出版予定だそうです。自費出版が品切れでも、それまでしばしお待ちあれ(^^
 お問い合わせは全国公的介護保障要求者組合まで(Tel/Fax:042-577-4614)。