『治りませんように』(斎藤道雄著、みすず書房)

治りませんように――べてるの家のいま

治りませんように――べてるの家のいま

 はるか北の果て、北海道の襟裳岬に近い浦河という過疎の町にある「べてるの家」のことは以前から知っていた。その関連の本も何冊か出ており、書店で眺めてはそのうち読もうと思い、知り合いも折にふれてべてるの家のことをぼくに話してくれたが、これまでは、あえて少し距離をおき、その関連の本も読もうとはしなかった。
 「べてるの家」というのは、統合失調症アルコール依存症人格障害などさまざまな病気や障害、生きづらさを抱えた人々が寄り添い集まったゆるやかな共同体の総称だ。北海道の辺境の地で、きわめてユニークで独自な実践をしてきたために、10年ほど前からだろうか、一般的に広く知られるようになった。今では、毎年数多くの見学客が浦河の地を訪れ、地元はそれでかなり振興しているとも聞いたことがある。
 今回紹介するこの本は、そうしたべてるの家を10年以上にわたり繰り返し訪問し、そのメンバーと一緒に食事をし、世間話をし、メンバーとともに時間をすごしてきた筆者が、さまざまなインタビューや講演の記録、そして遭遇したさまざまな出来事から、そのベテルの家においてもっとも大切にされているもの、べてるの家の実践の根底にあるものを伝えようとして書き記した経験と思索の結晶であるように思う。べてるの家に関連する筆者の本としては、前著『悩む力』に続き今回で2冊目にあたる。べてるの家の真髄を伝えようとした筆者渾身の力作であろう。『治りませんように』という、ある種ドキッとするタイトルからはじまり、「しあわせにならない」、病こそが「生きる糧」などという当事者たちの言葉を通して、その言葉の奥底に隠された深い意味がさぐられていく。それらが、決して「精神障害者」たちの話ではなく、まさしく「人間」の話として語られていくそのさまは、べてるの家の日々の実践がまさしく深く人間の歴史の深層に根差したものであることを、考えさせられる契機となるように思う。
 さてまず、評者がこれまでべてるの家関連のものにいささか距離をおいていたということについて。
べてるの家の活動の基本には、「精神疾患の当事者として日々抱えなければならないあらゆる困難や問題を、[医師や専門家ではなく]彼ら自身の立場から捉え直そうとする『当事者性』」を一貫して追い求める姿勢がある。「そこで彼らが見据えようとしたのは、日々山のような問題をかかえ、際限のないぶつかりあいと話しあいをくり返すなかで実感される、苦労の多い当たり前の人間としての当事者のあり方だった。」(p13)精神疾患から、いやむしろ人間であることからくる苦労を、彼らは「精神障害に代弁させることなく、自らに引き受けようとしたのであり」、そしてまた「問題だらけであることをやめようとしなかったがために、そこに浮かびあがる人間の姿をたいせつにしようとしたのである」(同)
 ここに言われるように、彼らの活動の基本には、まず「精神障害者である前に、まず人間であろうとした当事者性」がある。そうしたありのままの自己、ありのままの人間の姿を大切にする姿勢から、いくらか見聞きしている人にはなじみの、「幻想妄想大会」や「当事者研究」があり、また「三度のめしよりミーティング」や「幻聴さん」、「そのままでいい」といった言葉も生まれてきた。
 この限りでは、身体障害者の自立生活運動や知的障害者ピープルファースト運動とも、その「当事者性」を基本にすえる点で、軌を一にしている。そしてその意味では、自立生活運動やピープルファーストに関わっている人にとっては、べてるの家についても十分に興味があってしかるべきだと思う。しかしながら、ぼく個人としては、べてるの家に対してはどこかある種のあやうさもあるという気がしていた。
 身体障害者の自立生活運動から障害者運動に入ったぼくは、社会から疎外され続けてきた障害者たちの姿、そしてまたその不当性を社会に対して訴える彼らの姿を見て、その運動のあり方に共感し、これまで多少なりともその運動の一翼に関わろうとしてきたし、また現に関わっている。ただそうした立場からすると、必ずしもすんなりべてるの家のありかたに共鳴してはならないものがあるように感じてきた。
 たとえば「完全参加と平等」と言われるように、身体障害をもつ人の運動は、社会にどんどん出ていく運動、社会のすみずみにまで進出していく運動、障害をもたない人との機会の平等を求めての運動である、という側面をもつ。さまざまな場面でのアクセスの保障、情報保障の必要性が言われ、そうした意味での社会変革が目指される。すべての人がインクルージョンされる社会である。教育にしても交通にしても住宅にしても、まだまだ障害をもつ人にとって住みにくい街、暮らしにくい社会なのだから、当然に社会の側が改善されていかなければならない。
 ところがべてるの家のあり方は、逆に、むしろ社会から撤退していくあり方である。少なくとも表面的には、この社会をよくしよう、改善しようとする運動ではない。いろんなもの、人生におけるいろいろなものをあきらめ、捨て去った上で、浦河にきて、そしてそこに暮らし続ける。それは、社会の向かって「昇りゆく」生き方ではなく、社会から「降りてゆく」生き方である。
 ぼく自身は、障害者自立生活運動との出会いを通して、今まで生きてきたこの社会の諸矛盾、障害者を排除して平然としている社会の諸矛盾に直面し、そうした既存の社会のあり方に疑問をもち、新しい社会のあり方を模索していきたいと思い、障害者運動に関わってきた。そこでは、古い排除型の社会から、新しいインクルーシブな社会を模索したいという思いがあった。
 しかしながら、べてるの家のあり方には、そもそも社会自体から「降りてゆく」という側面を感じていた。いわば一種の出家であり、まさしく「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」と言われるような感覚、社会というものをあきらめ(捨てきれないけどそれでも)捨てているというような感覚を感じていた。
 そうした生きる方向の模索において、自立生活運動とべてるの家のあり方にはまったく別方向の志向があるように感じてきた。そして、べてるの家のあり方、社会から「降りてゆく」あり方には、「完全参加と平等」と言われる運動にとって、その足をひきずるようなある危うさがあると感じてきた。
 そして、その「降りてゆく」生き方にどこか心魅かれていたぼくとしては、そこに引きずられることを恐れて、あえて、べてるの家関連の本を手にとろうとしなかったと思う。

 しかしながら、そうしたことを感じながらでも、この本を読もうと思い、また紹介しようと思ったのはなぜか。それはやはり、この書物では、精神疾患からくる諸問題を障害の枠組みでとらえず、また、単純に社会モデルと言われるような社会の枠組みでも捉えないから、つまりそれらを「人間」の枠組みで捉えようとする姿勢が一貫しているからである。
 その昔、一読一生の書評の中で、ぼくが『母よ!殺すな』を取り上げたことがあることを覚えている方もおられるかもしれない。そのときにも、その本を、単に障害者運動の歴史についての本としてではなく、「人間の歴史」について書かれた本である、己とは何か、自己とは何かを問うた自己探求の書、人間探求の書であると書いた。それと同様のことがこの『治りませんように』においても探求されているように思う。両者に共通するのは、ありのままの自分を見つめることであり、深い絶望であり、そしてまた深い意味での人間の歴史へのつながりである。

べてるの家には、人間とは苦労するものであり、苦悩する存在なのだという世界観が貫かれている。苦労を取りもどし、悩む力を身につけようとする生き方は、しあわせになることはあってもそれをめざす生き方にはならない。苦労し、悩むことで私たちはこの世界とつながることができる。この現実の世界に生きている人間とつながることができ、人間の歴史へとつながることができる。このように生きて死ぬということが、ほんとうに生きるということなのではないだろうか。」(p246)

 自立生活運動にしても、ピープルファーストの運動にしても、そこにはごく当たり前のこととして、「しあわせになりたい」という価値観が存在している。一人暮らししたい、結婚したい、就職したいなどなど、ごく平凡なしあわせな暮らしが望まれている。この本では、もちろんそうした「しあわせになりたい」という価値観を否定しはしない。しかしながらそうした「しあわせになりたい」という価値観がどこかに落とし穴をもっていることも事実ではなかろうか。その落とし穴のゆえに、べてるの家の人々は、むしろ「しあわせにならない」という生き方を選択する。それはどのような含意だろうか。

 「しあわせにならない、というのは、けっして不幸になることを勧めているわけではない。またしあわせそのものを否定しているわけでもない。しあわせになるという生き方が陥りがちな、閉じてゆく方向性、他者への関心の喪失、それがもたらす人間存在の陰影のなさを突いている。そのような生き方は人間の絆を損ない、生きていくうえで必要な切実さを希薄なものにしてしまうという捉え方が、そこにはあるのではないだろうか。」(p243)

 エレベーターがあれば、介護があれば、住宅があれば、社会に出ることができる。自分たちが街に出れば社会は変わる、世の中は変わる。障害の社会モデルによってたつとき、それは確かだ。けれども、そのときにおいても決して消え去らない何か、忘れられてはいけない何かはきっと残されるのだと思う。それをこの本では、人間としての「苦労」「苦悩」と捉える。人間として生きている以上かならず出会う、「重苦しさ」であり、「絶望感」である。

 「浦河の地でべてるの家の人々が積み重ねてきたことは、そのような重苦しさや絶望感に打ちひしがれ、弱さとみじめさを思い知らされ、怒り、引きこもり、爆発し、逸脱しても、そのありのままをことばにし、仲間に語り、ひたすら聞きまた語りつづけることによって、人は人とのつながりを取りもどし、生きてゆけるということだった。いや、生きてゆけるだけではない。深い森のようなことばの広がりのなかで熟成され、病気がもたらす苦労はいつしか暮らしの一部となって豊饒の物語へと編みこまれてゆく。」(p9-10)

 この本に描かれていることがらは、別になんのきれいごともない。問題だらけの行動群がそのままに紹介されている。精神疾患が別に治るわけでもない。改善するわけでもない。それは深い悲しみである。けれども同時に、そこで生きている人々には不思議な安堵感と深い意味での安らぎがあるように思う。そこでは人間が生きている。人間が生き、その暮らしはそして豊饒の物語に編み込まれていっている。そうした豊饒の物語を、私たちもまた生きていきたいと思う。