無能力批評Cについて

「光の中から闇は見えない。」(田中美津
しかし闇が光に照らされたとき、再び闇は見失われる。



杉田俊介の「無能力批評C」を読んだ。(『無能力批評』大月書店所収)
副題は「1970年台前半神奈川青い芝と無能力のメルティングポイント」

昨日書いた「できる/できない」の話し、あるいは「内なる優生思想」の話しを徹底的に考察しようとした論考。
途中、難解になるので、以前はさっと読み飛ばしていた。

実際のところ、この論考をきちんと読んでいる人はほとんどいないだろう。
そこで言おうとしている、あるいは、杉田が信じようとしているぎりぎりの部分が、かなり難解な表現で語られていて、しかも題材が障害者運動なので、なかなか普通には理解しがたい。

今回読み直してみて、以前よりは彼が信じようとしている部分が読み取れた気がする。

明日朝早いので、今夜はメモ程度だけ。

彼がもっとも力を込めて書いたと思われる部分の引用。

横塚はただ、「本来の労働」の原義に立ち返るならば、社会的な労働・交換・交通へと転化=拡張されないどんな行為も存在もありえない、もちろん知的障害者であれ重症児であれ、と言っているのである。そこでは「障害者の労働はその特色ある形そのままの姿で社会的に位置づけられ」る。原罪以前のコミューンへの回帰願望でも、未来に来る黙示録的革命への希望でもない。[以下、すべて強調の傍点つき]無能力というヴェールを通してこの世界を透かして見る時、「日常の」すべての営みは無限に多様な交換=交通の様式として ― その躓きと不可能性として ― 見通されていく。そしてまさに交換の失敗・不能・外部性が一層高次化されていく時こそ、すべてが社会的な意味での交換=交通へと転化していく ― もしそこにあの無能力という「別の価値」=弱い光が、無限に多様な星雲として降り注いでいるならば。

これだけではわかりにくいので、もうちょっと噛み砕いている部分。

しかし、人が「本来の労働」の原義に立ち返って「寝たっきりの重症者がオムツを変えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとって即ち重労働とみられるべき」であるような社会構造が ― 交換を、しかもいわば無能力交換を通して ― 十全に染み渡った世界とは、どんな世界なのか。
 「ウンコを」「とらせてやる」のも「一つの社会参加」であり、しかもそこにこそ「主体性」が差し込まれている、とはどういうことか。
 ここでは未曾有の事態が予感されている。繰り返すがそれは前近代的な互酬的コミューンへの回帰ではない。革命の待望でもない。近代以降の資本制の全世界的で包括的な発展自体が、その不思議な自然の狡知によって、1970年代半ばごろの横塚が予兆したような社会を、商品交換を超える別の交換(無能力交換)を、未来に準備している。眼を曇らされることなく、横塚が実人生の経験から「原則的に」行き着いた能力主義のリミットを、それを組み替え新たな社会構造と交換様式を開くためのヴィジョンを、私たちももた(間接伝達において)変奏し、信じぬけるのか。貨幣の揚棄てではない。言語の揚棄ですらない。生産/交換/生存の失敗としての無能力をこそ揚棄すること。それが世界の隅々にまで十全に染み通った時が、その時だけが、横塚らが言う意味での社会変革が本当になされたときなのだ。

無能力の揚棄。無能力の高次化。あるいは、無能力というかすかな光をとおして、はじめてある新しい社会があらわれる。
つまり徹底して無能力をつきつめること。交換の不可能性、やりとりの不可能性、社会性の不可能性、そしてそれでも存在するところのもの、そこにとどまり、そこを見つめ、そこからある根源的な自由、根源的な人間関係を回復していくということ。

そうした可能性を1970年代の青い芝の中に見て、その可能性を信じようとする杉田の立場には全面的に共感する。ぼくもまたその可能性を信じようとしている者のうちの一人だ。

ただ、無能力というヴェールを通しての新たな社会のヴィジョンを「無能力の社会化」と述べ、それの潜在的な具体例として、自立生活センター等の当事者団体やその他非営利協同組織を挙げているとき、少なくともその現場にいるぼくとしては、まだ十分にその可能性をその場においてみる、と言い切れない何かがある。もちろん、行為者として、ぼくはその可能性を信じつつ、日々行動しているのだけれど。

杉田がさくら会の川口の言葉「なんだあ病気も患者の資源や商売になるなら文句ないんだね」を引用していることに象徴されるように、ある側面で見れば「無能力の社会化」は「無能力の市場化」「無能力の商品化」ではないのか。

そしてそのとき、おそらく最初の問い(これはぼくにとっての問いかもしれない)に戻る。

しかし他方で、その[自立生活運動の]「限界」もそちこちで聞かれる。「制度がそれなりに充実したので、かえって本人のパワーが衰弱した」「当事者がたんなる消費者=サービスユーザーへ切り詰められた」「介助者の存在がないがしろにされた結果、定着しない」など。…たとえば私が障害者介助に携わる川崎市では、驚くべきことに、今や青い芝のバス闘争や養護学校反対運動などの歴史が跡形もなく消え、当事者運動も自立生活運動もほとんど根付いていない。多くはただのサービスユーザーとなり、たとえば支援費制度や障害者自立支援法の流れの中で自立生活の可能性が切り詰められた時、全く反応できなかった。不思議なくらいの無風状態。だからこそ、CIL的な介助システム論の成果の上に立ち、かつ、当事者と介助者の間の関係を ― その非対称性・敵対性を消さずに ― 問い直していく、という「+α」も必要に見える。

この「+α」を現代の立場において問うていくことが、ぼくらの重要な課題なのだが、そのためには無能力の市場化・商品化という側面を十分に認識し・批判(批評)していく必要があると思う。

それはいかにして可能か。現代において「無能力」はいかにして可能か。