empty「エンプティ」
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エンプティ
京都、先斗町歌舞練場前にあるバー「エンプティ」が今夜で店を閉めることになった。
一か月に一度、いや、二週間に一度は、明け方4時頃まで飲み、よた話をし、そしてうとうと眠りこけそうになるところを起こされ、自転車にふらふら乗りながら、ときに警官に呼び止められ、帰宅していた、ぼくがもっとも心安らぐBARであった。
そのバーが、さきほど終わりを迎えた。
終わりの気持ちを振り払うかのように明るくふるまう客。
たんたんと、いつものように過ごす常連。
人知れず、カウンターにうつぶせになり涙をこぼし、そのままさりげなく帰っていったBarの住人。
名残りおしげに滞在していた人々。
ここ2、3日は、さすがに客も多かった。
次はどこでやるの?
その問いにマスターはまだ答えられなかった。
上の写真は、この店の最後の風景となる。
店の名は、Empty。
「空」の意。
禅では「不生」とも云う。
今、この店は無くなろうとしている。
2,3日後にはこの店はあとかたもなくなるだろう。
しかし、「不生」なのか。そもそも何も生まれていなかったのか。
この写真に残されているような、存在していたものは、いったい何だったのだろうか。