障害者権利条約

全然詳しくないのですが。。。

今日は大阪で障害者権利条約に関する集会があった。

もとは関西集会にする予定だったけど、まとめるのが大変で、大阪集会になった模様。

韓国DPIの前会長が来ていた。
障害者権利条約に関する国連の会議のときに韓国代表となった民間人。大学教授。視覚障害
当事者主義、という本があるらしい。

日本はなぜ差別禁止法ができないのか、権利条約に関して消極的なのか、などとけっこう日本のことを叱咤していた。

ただ、なんとなくぼくが思っているのは。。。

法律が大事なのか、それとも生活実態が大事なのか、ということ。

千葉では24時間介護がなく、介護保障がとっても遅れてるけど、それでも差別禁止条例がある。(とっても最近の情報では24時間介護保障がようやく千葉のある都市で実現したらしいが。←たぶん条例とは無関係)
韓国の人は、差別禁止法を自慢するけど、韓国の障害者の生活実態を見聞きしたことが残念ながらいまだない。

言葉だけの建前ができたって、いわゆる障害者基本法と同じで、なんだかなって思う。

障害者の自立生活は、もともと言葉よりも先に、生活実態を築いていく闘争だったように思う。
それは、「権利」という言葉以前の、生身の人間の闘いだったのではないだろうか。

自己を擁護する闘争は、「権利」に先立つ。

私が自己を擁護する資格があるのは、法律があるからでも、私が諸権利を持つからでもない。私が私を擁護するからこそ、私は私の諸権利を持ち、法律は私を護るのである。したがって、なによりも、擁護のダイナミズムこそが、法律と権利とに、私たちに不可欠な価値を与えるのである。権利は、それを発動させる擁護の中で生きるのでなければなにものでもない。そして唯一、擁護のみが有効に法律に力を与えるのである。

フーコーの言葉と言われている。