いのちの相互浸透

〔4月11日mixi日記より〕
昨日葬式に出た。

10年以上ぶりくらいに父方の親戚一同の顔を見たのだと思う。

富山の大きなお屋敷の、古臭いなごりをもった一族だ。

みんな年をとっていた。いいおじいちゃん・おばあちゃんになりつつあるのだな、と思った。

世代は確かに交代しているのだな。

ぼくらは親の世代になり、彼ら親戚のおじ・おばは、じじばばの世代になりつつある。

昔、こども時代のぼくらに厳しかった彼らも、だいぶおっとりしてきている。

いとこも、一部をのぞきみんな社会人。

結婚率はそんなに高くない。子ども(孫)もそんなに多くない。

今回の葬式は孫世代はきておらず、ぼくが全出席者の中でもっとも若かった。

通夜、葬式、火葬、初七日、一つ一つの儀式が着実に進んでいった。

もちろんある種の緊張感が漂っている。

一人のおじさんが、死体となり、そして棺桶に入れられ、火葬場で焼かれ、白骨となった。

ぼくらはその骨を拾い、骨壺に収めた。

実際には、そんなにつきあいがあったわけではない。

けれども、子どものころから常にぼくのどこかにいた存在なので、お別れの際は、やはり深い悲しみに襲われた。

死ぬのは以前からある程度分かっており、訃報に接した際もさほど感情は動かなかったが、親戚とともに集まり、ともにおじさんを見送ることで、多くの何かがぼくの中に想起され、そして涙があふれた。

「親戚」。子どもの頃からぼくのどこかに位置づけられていた存在。

大きくなってからは、いろいろわだかまりもあり、毛嫌いしていることも確かだ。

けれども、ぼくの中に刻印されている親戚の血のつながり、離れ難さは確かにあるようだ。

ぼくが親戚とは関係なしに、普段の生活を送っていたとしても、そのつながり・絆・離れ難さはどこかでぼくの身体・精神の一部を形成している。

骨を拾う中で思っていたのだが、人の死に直面し、それをみんなで受け入れていく中で、いのちはこうして受け継がれていくのだな。

そんなに親しかったわけでもないのに、なぜぼくが彼おじさんの骨を拾うのだろう。

けど、そこには確かに父・母を通してのつながりが抜き差しがたく確かに存在するのだ。

祖先の死を通して、人の死というのは、ぼくの身体・精神の一部を形成している。

床の間に飾られている先祖の遺影は常にぼくの生活の一部であった。
(ぼくの名古屋の家にはなかったが。)

お互い何の面識がなかったとしても、人は、先祖よりいのちの何かを受け渡され、そして子孫へといのちの何かを受け渡そうとしている。

死と誕生、それらは葬式と結婚式というかたちで儀礼化しているのだが、その形式は、ぼくらに何かを伝えるための形式だ。

おそらくその何かは、いのちの相互浸透・世代間浸透ともいえる何かだ。生きているぼくらの生の底流には確かに死と誕生の形式が根付いている。

それをぼくらはこれから忘却して生きていくこともできるだろう。

古い因習として、忘れ去ってもいいものかもしれない。

けれども、その形式にかわる何かをぼくらはもっているだろうか。

人のいのちを受け継ぐ形式をぼくらはどれほどもっているだろう。

ぼくらはこれから、どこでどのようにして、いのちを伝えあっていけばいいのだろうか。