彼は生きて姿を現した

組合総会&厚労省交渉。

総会と『足文字は叫ぶ』(新田勲)勉強会はやっぱりおもしろかった。

組合の厚労省交渉は、ちょっとちぐはぐ。十分に効果的な交渉の場になったとは思えない。
とりあえず、厚労省との関係修復の場だったという印象。


「彼」は、生きて姿を現した。

ちょっとしんどそうで、だいぶやせていたけど。

二日目は、しっかりと自分をたもって交渉にのぞんでいた。

あのあとはだいぶ疲れはてたと思う。

まぁ、普通によもやま話をする。

「渡邉さんも休む時は休んで、気をつけないと、いきなり、おしりの底の方から、ドッカーンとくるよ」と。

ぼくも最近微妙に心当たりがあるので、「そうだよねぇ」と納得しながら聞いている。


尊敬する「彼女」が、このことについてえらく心を痛めていた。

こんなことを書いている。

「狂わす」

力尽きた・・・

精一杯、闘って、

時に怨まれ、時に叩かれ、時にはけ口にされて・・・

それでも世の理不尽と闘って。

その結果、心崩れ、心壊れて、心狂った。

糸が切れた・・・

彼をここまで追いやったのは障害者たちである。

自分が世の中から(健常者から)受けてきた苦しみを、怒りを、憎しみを、恨みを、彼にぶつけた、彼のせいにした、彼に背負わせた。

一番、大切な人のなのに、一番、側にいてほしい人なのに・・・

その人の心狂わせた。

・・・

でも、多分、この先・・・

彼にとっては、「当事者」と言えることで、楽になれる。

「当事者」という逃げ道が出来た。

そのことでは、楽にはなれる。


かなしいすぎる現実・・・


障害者に損害賠償を請求しないとね、みたいに「彼」と冗談でしゃべっていたのだが、それはそれとして、この「彼女」の認識はちょっと違うかな、と思ったので、ぼくはこんなコメントを書いた。

ちがうよ。

すでに「当事者」として、彼は闘ってたんだよ。

力尽きたから、狂ったんじゃないよ。

狂ってなお、闘うんだよ。

いやむしろ、闘うために狂ったんだよ。

なにも悲しくなんかない。

言葉を先鋭化させれば、こんな表現になるのかもしれないけど、
まぁぼくらも傷つきやすく、壊れやすいので、
いたわりあい、お互い気遣いながらやっていきましょう。