小さな嵐のような日
今日は小さな嵐のような日。
昼前から、夜中まで、いたるところで情念のぶつかりあいによる小さな嵐がまきおこっていた。
次々と、大勢の人の思いが一人の人間の上に集中していき、そこでスパークする。
まきおこった嵐がまた別の人の中に嵐をよびおこす。
そんなのがずっと続いていた一日だった。
年度末で、新年度の先行き不透明のため、みんな浮足立っている。
こんなんでいいんだろうか、これからやっていけるのだろうか。
そんな思いが大勢の心の中に飛来している。
あげくのはてにはもうやめるだの、やめないだの。
正直、苦しいこともけっこうある。
けど、やっぱりぼくはこの荒れ狂った様々な情念のなかで身を屹立させ、その濁流を受け止め、流され、かつはじき返すのが、好きだ。
明日は筋ジス病棟問題に関心のある人の会合。
今日伊藤さんの論文について、病棟出身者がこう漏らしていたそうだ。
「あんなふうに悲愴に書かれるのはいやだ。中に入っている人もいることだし。いい面もあるわけだし。」
それから、
「それに、運動を急ぎすぎだよ」
と、その話をぼくにしれくれた人は言われたそうだ。
その人はこう言った。
「けど、私は急がないといけない。Mさんのこともある。もう同じことは繰り返させないと心の中で決めたのだから」
Mさんというのは、この1月初頭に亡くなった筋ジスの方。
地域での介護者不足が原因で、せっかく制度もととのい自立生活をはじめようとした矢先に、亡くなった。
風邪で入院したのに、病棟にいったら症状の悪化がとまらなかった。
因果関係はわからない。
けど、十分な支援さえあれば、彼はまだ生きていた。