そこそこ生きる

「介助者」としてそこそこ生きる。

「介助者」という生き方。

いったいなんなんだろう。

介護のプロを目指し労働強化の方にいくのではない。

ふつうに日常を生きていく、そういう生き方。

めんどくさいことも多いけど。。。

障害が重度の人が相手だと、さすがに心の余裕もなくなり、心身ともに疲れるけど。

大変なことは、分散する。かたよってしまうのは、よくない。

そこそこ生きる。

そういう生き方はあってもよいと思う。

そういう生き方から、社会が成り立っていけばいいのに。。。

そうはならない。

障害者もそこそこ生きる。

介助者もそこそこ生きる。

そんなふうになってくれたらいいのに。

そんなふうになることを、多くの人が許してくれない。

そんな「ゆとり」はこの社会にはない。


けど、そんな「ゆとり」を養い育てていくということ。

人の「溜め」、社会の「溜め」を増やしていく、ということ。

そして、そのために戦う、ということ。

そうした「ゆとり」を回復していく戦い。

上でもなく下でもない。

それは、胎蔵からの回復。