フーコーの『カントの人間学』

カントの人間学

カントの人間学

今日本屋に寄ったおり、この本を見つけて、あっ、ついに出たんだと思い、けっこう喜んで買ってしまった。
フーコーのカント人間学論。うわさは聞いていて、けっこう興味があった。
夜、家に帰ってぱらぱらめくってみると、わりに分量が少ない。
他にやることがあったのだけど、とりあえずおおまかに目を通してしまった。

予想していた内容とはちょっと違ったけど、生きたカントが浮かび上がってきたように思う。
ごちごちの体系哲学者カントでもなく、ごりごりの道徳哲学者でもなく、現代風にスマートにされたカントでもなく、実際に18世紀に生きて、年取って、自身の哲学にもとづきつつ長生きのすべをさぐりながら死んでいったカントの姿がなんとなく浮かんできた。
18世紀の膨大な文献を渉猟するフーコーの面目躍如だ。
伝記作家はだいたいかっこいいところを描こうとするからあかん。
フーフェランととの文通なんて、これまでだれが取り上げただろう。
マイクロビオティック、すなわち人間の寿命をのばす術』なんて本の著者に晩年のカントが経緯を払い、ある意味で自身の哲学の参考にしようとしているらしいのだから、おもしろい。
それもおそらく、晩年のオプスポストゥムムに描かれる超越論哲学に結びていていく。

後年、歴史的存在論、批判的存在論を説いたフーコーのカントさばきはとてもおもしろい。
批判哲学と人間学をネガとポジと捉え、その反転、反復の運動に価値をみる。
批判哲学だけに目をやり、そこに人間学的本質があると信じ、いわゆる超越論的錯覚に陥っていった後世の人々を冷ややかにみているようだ。

誤った人間学というものがありうるだろう。実際、私たちはその例をしりすぎるほど知っている。誤った人間学ア・プリオリなものの構造を始まりの方へ、事実上あるいは権利上の始原(アルケー)の方へとずらそうとする。カントの『人間学』が私たちに教えてくれるのは別のことである。『人間学』は『批判』のア・プリオリを本源的なものにおいて、すなわち真に時間的な次元において反復するのだ。p118


ここで言う、「真に時間的な次元」というのがとても大切な部分だ。
それはどんな次元か。
それは、錯覚であり、だらしなさであり、ぼーとしていることであり、おしゃべりしていることであり、散漫なことであり、、、、そうしたあいまいさや間違いの多い日常の時間のことだ。

『批判』において時間は直観と内感の形式であり、所与にそなわった多様性はすでに作動している構成的な能動性を通じて示されるだけだった。時間は多様を、あらかじめ「我惟う」の統一によって支配されたものとして示していた。反対に『人間学』における時間は、のりこえることのできない散逸につきまとわれている。というのも、この散逸はもはや所与と感性的な受動性のものではないからだ。むしろそれは総合の活動が自分自身に対して示す散逸であり、総合の活動に「戯れ」のような色合いを与える。多様を組織しようとする総合の活動は、その活動自体から時間的にずれる。だから、この活動はどうしても継起のかたちをとり、誤謬と、惑わしに満ちたあらゆる横滑りを生じさせてしまう(凝りすぎるverkuensteln」「詩作しそこなうverdichiten」「狂わせるverruecken」)。『批判』の時間が本源的なもの(本源的な所与から本源的な総合まで)の統一を保証し、それゆえに「原(ウア)Ur-」の次元で展開されていたのに対して、『人間学』の時間は「逸(フェア)Ver-」の領域に運命づけられている。なぜならそこでは、時間によって諸々の総合が散逸し、ばらばらになってしまう可能性がたえず回帰するからである。時間のなかで、時間を通じて、時間によって総合がなされるのではない。時間が総合の活動そのものをむしばむのだ。p113


ここで、「『批判』の時間が本源的なもの(本源的な所与から本源的な総合まで)の統一を保証し、それゆえに「原(ウア)Ur-」の次元で展開されていたのに対して、『人間学』の時間は「逸(フェア)Ver-」の領域に運命づけられている。」と言っているくだりなどは、かなりしびれる。
つまり『人間学』は、そうした散逸、逸脱で特徴づけられるような時間の次元で、批判でいうアプリオリ(本源的なものUr-)を反復するわけである。

人間学』は起源の問題に真の意義を返してやる。その意義は最初にあるものを明るみに出し、ある瞬間として特定するところにはない。そうではなくて、すでに始まってはいるけれども、決して根幹にあることをやめない時間の横糸をふたたび見いだすことが重要なのだ。本源的なものとは実際に最初にあったものではなく、真に時間的なものである。それは時間のなかで、真理と自由が互いに属するところにある。


本源的なものとは「時間のなかで、真理と自由が互いに属するところにある。」
フーコーは、ここでいう「真理と自由」については本書においては多く語らない。
それは別の著作をまつのだろう。

ちなみに、なんとなくの印象だけど、汚れに染まった時間的なものから目をそむけず、むしろそこに真理の契機をみるフーコーの見解については、読みながら、こりゃぁ、「不断煩悩得涅槃」だなぁみたいなことを思ってしまった。
真理と自由についての心意気からすれば、臨済の言う「随所作主立処皆真」みたいなもんだなぁ、としょうもないことを妄想してしまった。
「用いんと要せば便ち用いよ」
それが「理性の使用」と響き合っているや否や!?

ごはんをつくってあげたい、ということ

今日、人と話していて議論になった。

ある全身性の障害をもつ女性が、パートナーのためにごはんをつくってあげたいと思った。
そこそこ年なので、旦那のために女性がごはんをつくるのは当然であり、それが女性の役割だと思っている。
その女性は、女性の役割をはたせてこなかった。
一つには、パートナーが見つからなかったから。
もう一つには、重度の全身性の障害があるから。

彼女は、自分で家庭の家事の仕事ができない。

自分の身の回りのことは、介助者に言えばやってもらえる。
自分の自立は、介助者に指示をすればはたすことができる。

けれど、人のために介助を利用することはできない。

家族の食事までも、介助者につくらすわけにはいかない。

最近、パートナーが見つかり、相手のために毎日ごはんをつくりたいと思った。

いつも入っている介助者に、何の気なしに、これからごはんを二人分つくってもらうかも、と言った。

その介助者は、同じ時給で働いているのに、男性障害者の介助者は何もせず、わたしだけ働くのはなんだかなと思う、と言ったそうだ。

ぼく個人としては、この女性介助者の意見がまっとうと思った。

介助者としては、あくまで利用者個人の介助に関することをやるのが仕事であって、そのパートナーの食事の世話までやるいわれはない。

たぶん、男性障害者と男性介助者は、居間でくつろいで、お酒のみながらテレビでも見てるのだろう。

そんなとき、台所で、女性障害者と介助者がそのパートナーの分までつくるというのは、なんかしっくりこないところがいろいろあると思う。

このブログの多くの読者は、基本的にフェミニズム的思考を身につけているので、そもそもこの女性障害者のもつ女性役割の観念を否定するであろう。

別に居間でテレビをみている男性のために、女性が食事をつくってあげる必要なんてない。

男性もやはり相応に家事をするべきだ。

それはそうだと思う。

女性障害者は、妻は旦那のために食事をつくるという古臭い女性差別性役割の考え方を捨てきれないだけだ。
そこを改善したらいいんじゃないか、と。

通常のフェミ系の主張からすれば、そこで話は終わる。

介助はあくまで、個人に対する支援であり、その家族の世話までする必要はない。
制度的にも、家族に対する援助は仕事の内容に入っていない。
女性障害者は、昔ながらの考え方から抜け出せておらず、自立していない。
男性障害者も、当然ながら自立していない。自分でめしをつくるべきだ。

結論としては、介助者は個人支援の原則を守り、男性障害者も女性障害者も、個人として自立して、自分自身の食事をきちんとつくるべきだ、ということになる。


しかし、それでいいのだろうか?

ここからが、火花を散らす議論となった。

障害者は、相手のために「してあげたい」と思う。

その「してあげたい」の部分には介助がつくことができないのだろうか?

介助者は、思想的にも制度的にも、その障害者の「してあげたい」という思いを否定することになる。

気持ちはわかったとしても、現実にはその障害者の気持ちを封じることになる。

もちろん、これまで「主婦」としてやってきたヘルパーは、その女性障害者の気持ちをくんで、慣れ合いで二人分の食事もつくるかもしれない。それが女性の役割と思っている人にはあまり違和感がないだろう。

けど、最近の若い介助者たちの多くは、やはりそのやり方に違和感を抱くであろうし、「介助」という仕事の枠を超えていると思うだろう。

そもそも、何かを「してあげたい」と思うのは、人の「世話」をすることであり、「介護」をすることである。

障害者の自立生活運動で「介護」ではなく「介助」と障害者が主張してきた以上、「介護」の部分までも介助者がやる必要はない。主婦的部分は、自立生活運動では否定してきた部分である。

介助者は「介助」(パーソナルアシスタンス)に徹するべきだ。

しかしそれでも、その「してあげたい」という気持ちの実現についてはどう考えるべきなのか。

性役割(家事、育児、介護)を果たしたいという女性障害者の気持ちと、その気持ちの実現についてはどう考えるべきなのか。

これまで女性役割を免除され、そもそも女性として見られてこなかった障害女性に対して、女性役割を(ときに強要されつつ)何らかのかたちで果たしてきた健常女性が何をどのように言うことができるのか。

健常者ならば、いい悪いかは別として、女性役割をはたすかはたさないかは、ある程度選択の余地がある。

けど、もし上にだした結論にしたがうならば、障害をもつ女性には、女性役割は果たしてはならない、という道しか残されていない。

先に出した結論は確かに筋道だっているが、しかしそうした選択肢のなさについてはどう考えるのか。

自分の身辺のことだけでなく人のために何かをすることにも、介助がいる人は、介助者を通さないとしたら、どのように人の役に立てることができるだろう。

もちろんいるだけでも何らかの役にたつ、みたいな言い方はできるだろうけど、それはあまりに可能性・選択肢の少ない生き方である。

職場介助者という制度も、介助者が実際に仕事・作業をしてはいけないことになっている。障害をもつ人の障害の部分をカバーすることだけが仕事である。

介助内容に関する禁止事項の中で、経済活動に関することが挙げられているのも、人のために何かをすることには介助を使ってはならなない、という決まりがあるからだろう。

総じて、障害をもつ人には、人のために何かをする、人の役に立つという可能性が極めて限定されている。

人のために何かを「してあげる」ということは、確かにパターナリズムに通じる部分もある。

けど、だからといって、何かをしてあげることが禁止されている人生とは何なのであろう。

近年の制度は、個人・本人に焦点をあててたてられてきている。パーソナルアシスタンスはその典型。

けど、人は人とつながって生きている。何かをしてあげることもあれば何かをしてもらうこともある。その関係は、通常は、対等な個人同士のつながりとして言えるようなものはなかなかない。なんだかんだいってある程度のパターナリズムもあれば、ある程度の服従もある。

もちろんそうしたパターナリズム服従が個人の自立を阻害してきた面は否定できない。

けれども、自立のみでは社会は成立せず、また社会が成立しない以上、個人は成立しない。

支配と服従が固定化してはいけないし、性役割・性分業が固定化してもいけない。

やはり人のために何かをしたいと思うことはあるし、重度の障害をもっていても、それができるように保障があるべきだ。

その意味では、介助者と言えども、他の人のために動くこともありうる。他人の世話にまで関わるのだから、仕事量は増える。けど、そうしたケースがありうることは否定してはいけないだろう。

他方で、家族にしろ、パートナーにしろ、そこをあてにし続けていてはいけない。そこをあてにし続けることは、結局役割の固定につながり、強要につながるからだ。

議論は決して一筋縄ではいかない。

自分の価値観が絶対ではないし、その価値観が他者の抑圧につながっていることもある。

さまざまな他者の視点から、自分たちの価値観を検討しあえていけたらいいと思う。

『治りませんように』(斎藤道雄著、みすず書房)

治りませんように――べてるの家のいま

治りませんように――べてるの家のいま

 はるか北の果て、北海道の襟裳岬に近い浦河という過疎の町にある「べてるの家」のことは以前から知っていた。その関連の本も何冊か出ており、書店で眺めてはそのうち読もうと思い、知り合いも折にふれてべてるの家のことをぼくに話してくれたが、これまでは、あえて少し距離をおき、その関連の本も読もうとはしなかった。
 「べてるの家」というのは、統合失調症アルコール依存症人格障害などさまざまな病気や障害、生きづらさを抱えた人々が寄り添い集まったゆるやかな共同体の総称だ。北海道の辺境の地で、きわめてユニークで独自な実践をしてきたために、10年ほど前からだろうか、一般的に広く知られるようになった。今では、毎年数多くの見学客が浦河の地を訪れ、地元はそれでかなり振興しているとも聞いたことがある。
 今回紹介するこの本は、そうしたべてるの家を10年以上にわたり繰り返し訪問し、そのメンバーと一緒に食事をし、世間話をし、メンバーとともに時間をすごしてきた筆者が、さまざまなインタビューや講演の記録、そして遭遇したさまざまな出来事から、そのベテルの家においてもっとも大切にされているもの、べてるの家の実践の根底にあるものを伝えようとして書き記した経験と思索の結晶であるように思う。べてるの家に関連する筆者の本としては、前著『悩む力』に続き今回で2冊目にあたる。べてるの家の真髄を伝えようとした筆者渾身の力作であろう。『治りませんように』という、ある種ドキッとするタイトルからはじまり、「しあわせにならない」、病こそが「生きる糧」などという当事者たちの言葉を通して、その言葉の奥底に隠された深い意味がさぐられていく。それらが、決して「精神障害者」たちの話ではなく、まさしく「人間」の話として語られていくそのさまは、べてるの家の日々の実践がまさしく深く人間の歴史の深層に根差したものであることを、考えさせられる契機となるように思う。
 さてまず、評者がこれまでべてるの家関連のものにいささか距離をおいていたということについて。
べてるの家の活動の基本には、「精神疾患の当事者として日々抱えなければならないあらゆる困難や問題を、[医師や専門家ではなく]彼ら自身の立場から捉え直そうとする『当事者性』」を一貫して追い求める姿勢がある。「そこで彼らが見据えようとしたのは、日々山のような問題をかかえ、際限のないぶつかりあいと話しあいをくり返すなかで実感される、苦労の多い当たり前の人間としての当事者のあり方だった。」(p13)精神疾患から、いやむしろ人間であることからくる苦労を、彼らは「精神障害に代弁させることなく、自らに引き受けようとしたのであり」、そしてまた「問題だらけであることをやめようとしなかったがために、そこに浮かびあがる人間の姿をたいせつにしようとしたのである」(同)
 ここに言われるように、彼らの活動の基本には、まず「精神障害者である前に、まず人間であろうとした当事者性」がある。そうしたありのままの自己、ありのままの人間の姿を大切にする姿勢から、いくらか見聞きしている人にはなじみの、「幻想妄想大会」や「当事者研究」があり、また「三度のめしよりミーティング」や「幻聴さん」、「そのままでいい」といった言葉も生まれてきた。
 この限りでは、身体障害者の自立生活運動や知的障害者ピープルファースト運動とも、その「当事者性」を基本にすえる点で、軌を一にしている。そしてその意味では、自立生活運動やピープルファーストに関わっている人にとっては、べてるの家についても十分に興味があってしかるべきだと思う。しかしながら、ぼく個人としては、べてるの家に対してはどこかある種のあやうさもあるという気がしていた。
 身体障害者の自立生活運動から障害者運動に入ったぼくは、社会から疎外され続けてきた障害者たちの姿、そしてまたその不当性を社会に対して訴える彼らの姿を見て、その運動のあり方に共感し、これまで多少なりともその運動の一翼に関わろうとしてきたし、また現に関わっている。ただそうした立場からすると、必ずしもすんなりべてるの家のありかたに共鳴してはならないものがあるように感じてきた。
 たとえば「完全参加と平等」と言われるように、身体障害をもつ人の運動は、社会にどんどん出ていく運動、社会のすみずみにまで進出していく運動、障害をもたない人との機会の平等を求めての運動である、という側面をもつ。さまざまな場面でのアクセスの保障、情報保障の必要性が言われ、そうした意味での社会変革が目指される。すべての人がインクルージョンされる社会である。教育にしても交通にしても住宅にしても、まだまだ障害をもつ人にとって住みにくい街、暮らしにくい社会なのだから、当然に社会の側が改善されていかなければならない。
 ところがべてるの家のあり方は、逆に、むしろ社会から撤退していくあり方である。少なくとも表面的には、この社会をよくしよう、改善しようとする運動ではない。いろんなもの、人生におけるいろいろなものをあきらめ、捨て去った上で、浦河にきて、そしてそこに暮らし続ける。それは、社会の向かって「昇りゆく」生き方ではなく、社会から「降りてゆく」生き方である。
 ぼく自身は、障害者自立生活運動との出会いを通して、今まで生きてきたこの社会の諸矛盾、障害者を排除して平然としている社会の諸矛盾に直面し、そうした既存の社会のあり方に疑問をもち、新しい社会のあり方を模索していきたいと思い、障害者運動に関わってきた。そこでは、古い排除型の社会から、新しいインクルーシブな社会を模索したいという思いがあった。
 しかしながら、べてるの家のあり方には、そもそも社会自体から「降りてゆく」という側面を感じていた。いわば一種の出家であり、まさしく「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」と言われるような感覚、社会というものをあきらめ(捨てきれないけどそれでも)捨てているというような感覚を感じていた。
 そうした生きる方向の模索において、自立生活運動とべてるの家のあり方にはまったく別方向の志向があるように感じてきた。そして、べてるの家のあり方、社会から「降りてゆく」あり方には、「完全参加と平等」と言われる運動にとって、その足をひきずるようなある危うさがあると感じてきた。
 そして、その「降りてゆく」生き方にどこか心魅かれていたぼくとしては、そこに引きずられることを恐れて、あえて、べてるの家関連の本を手にとろうとしなかったと思う。

 しかしながら、そうしたことを感じながらでも、この本を読もうと思い、また紹介しようと思ったのはなぜか。それはやはり、この書物では、精神疾患からくる諸問題を障害の枠組みでとらえず、また、単純に社会モデルと言われるような社会の枠組みでも捉えないから、つまりそれらを「人間」の枠組みで捉えようとする姿勢が一貫しているからである。
 その昔、一読一生の書評の中で、ぼくが『母よ!殺すな』を取り上げたことがあることを覚えている方もおられるかもしれない。そのときにも、その本を、単に障害者運動の歴史についての本としてではなく、「人間の歴史」について書かれた本である、己とは何か、自己とは何かを問うた自己探求の書、人間探求の書であると書いた。それと同様のことがこの『治りませんように』においても探求されているように思う。両者に共通するのは、ありのままの自分を見つめることであり、深い絶望であり、そしてまた深い意味での人間の歴史へのつながりである。

べてるの家には、人間とは苦労するものであり、苦悩する存在なのだという世界観が貫かれている。苦労を取りもどし、悩む力を身につけようとする生き方は、しあわせになることはあってもそれをめざす生き方にはならない。苦労し、悩むことで私たちはこの世界とつながることができる。この現実の世界に生きている人間とつながることができ、人間の歴史へとつながることができる。このように生きて死ぬということが、ほんとうに生きるということなのではないだろうか。」(p246)

 自立生活運動にしても、ピープルファーストの運動にしても、そこにはごく当たり前のこととして、「しあわせになりたい」という価値観が存在している。一人暮らししたい、結婚したい、就職したいなどなど、ごく平凡なしあわせな暮らしが望まれている。この本では、もちろんそうした「しあわせになりたい」という価値観を否定しはしない。しかしながらそうした「しあわせになりたい」という価値観がどこかに落とし穴をもっていることも事実ではなかろうか。その落とし穴のゆえに、べてるの家の人々は、むしろ「しあわせにならない」という生き方を選択する。それはどのような含意だろうか。

 「しあわせにならない、というのは、けっして不幸になることを勧めているわけではない。またしあわせそのものを否定しているわけでもない。しあわせになるという生き方が陥りがちな、閉じてゆく方向性、他者への関心の喪失、それがもたらす人間存在の陰影のなさを突いている。そのような生き方は人間の絆を損ない、生きていくうえで必要な切実さを希薄なものにしてしまうという捉え方が、そこにはあるのではないだろうか。」(p243)

 エレベーターがあれば、介護があれば、住宅があれば、社会に出ることができる。自分たちが街に出れば社会は変わる、世の中は変わる。障害の社会モデルによってたつとき、それは確かだ。けれども、そのときにおいても決して消え去らない何か、忘れられてはいけない何かはきっと残されるのだと思う。それをこの本では、人間としての「苦労」「苦悩」と捉える。人間として生きている以上かならず出会う、「重苦しさ」であり、「絶望感」である。

 「浦河の地でべてるの家の人々が積み重ねてきたことは、そのような重苦しさや絶望感に打ちひしがれ、弱さとみじめさを思い知らされ、怒り、引きこもり、爆発し、逸脱しても、そのありのままをことばにし、仲間に語り、ひたすら聞きまた語りつづけることによって、人は人とのつながりを取りもどし、生きてゆけるということだった。いや、生きてゆけるだけではない。深い森のようなことばの広がりのなかで熟成され、病気がもたらす苦労はいつしか暮らしの一部となって豊饒の物語へと編みこまれてゆく。」(p9-10)

 この本に描かれていることがらは、別になんのきれいごともない。問題だらけの行動群がそのままに紹介されている。精神疾患が別に治るわけでもない。改善するわけでもない。それは深い悲しみである。けれども同時に、そこで生きている人々には不思議な安堵感と深い意味での安らぎがあるように思う。そこでは人間が生きている。人間が生き、その暮らしはそして豊饒の物語に編み込まれていっている。そうした豊饒の物語を、私たちもまた生きていきたいと思う。

アクセルとブレーキ

アクセルを踏めば、どんどん進む。
ブレーキを踏めば、ストップする。

やっちゃいかんことがあれば人はブレーキを踏む。
もっとやってみたいと思えば、人はアクセルを踏む。

けど、

やっちゃあかんと思えば思うほど、それをやってしまう人もいる。
自分でどつぼにはまっていく。

いじめちゃあかんと思うと、いじめてしまう。
手を出しちゃいかんと思うと手を出してしまう。
追ってはいけないと思うと、追ってしまう。

「あかん!」と言われると、ますますやってしまう。
「来ないでっ」というと、ますます近寄ってしまう。

ブレーキを踏めば踏むほど、アクセルがかかってしまう。

ブレーキを踏むと、アクセルがかかってしまう。


あえてブレーキを踏まない方が、うまくいくんだね。

ブレーキを踏まなければ、うまくいくよね。

そこそこのスピードで、とぼとぼ進んでいれば、うまくいくよね。

『生活保障』(宮本太郎、岩波新書)

『生活保障 排除しない社会へ』(宮本太郎 岩波新書2009年)

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)

日本型生活保障の重層的な囲い込み構造は、支配の構造としても作用した。すなわち繰り返し述べてきたように、官僚制が業界と会社を守り、会社が男性稼ぎ主の雇用を維持し、そして男性稼ぎ主が妻と子どもを養うという仕組みは、ときに人々に重くのしかかり、自由とライフチャンスを制約してきたのである。(222-223)

 新自由主義的な改革に喝采が起きた背景には、日本型生活保障を支えた組織内部のこうした閉塞感もあったであろう。人々は、息苦しい組織の外の自由な空間に思いをはせた。ところが、もともと仕切りの外の関係は希薄であり空気は薄かった。この外部の空間については、社会保障の制度も十分にカヴァーしていなかった。いったんその外に放り出された人々にとっては、そこは経済的に不安定であるばかりではなく、人々を気にかける「まなざし」そのものが存在しない荒涼たる世界だったのである。(61-62)

 『生活保障』というタイトルのこの本は、これからの社会保障のあり方や私たちの働き方、そして社会参加のあり方を考える上でとても重要な本だと思います。
 2009年の11月、つい2カ月ほど前に出たばかりですが、きわめてタイムリーです。

 「生活重視」「生活が第一」とのスローガンを掲げていた民主党が政権をとりました。90年代後半から、一般的に言って、ぼろぼろと人々の「生活」が破たんしていきました。「派遣村」に代表されるように、多くの人が「仕事」から放り出され住むところにも困るようになり、また「仕事」があったとしても不安定で低賃金の仕事ばかりで、その日暮らしの不安定な生活を強いられるようになりました。
 従来の「会社」や「家族」という形態が崩れつつあり、会社はもう男性稼ぎ主を守ってくれません。労働者の生活を守ってくれません。働くお父さんが家族を養ってくれることもありません。お母さんが家で家事や育児をしてくれる、ということも少なくなりました。
 「会社」や「家族」にはある意味で不自由な側面もありました。お父さんは会社に忠誠を誓わなければならず、お母さんはお父さんや家庭のために尽くさねばなりませんでした。そしてこうした枠組みの中には「障害者」の居場所はありませんでした。
 こうした枠組みが崩れていったことは、一面では、会社に縛られない、家族に縛られないという自由の拡大につながっていく側面もありました。女性の社会参加、障害者の社会参加の動きとも連動していました。これまで女性や障害者の社会参加を阻んでいた壁が崩れていったとう意味もありました。
 古臭い「殻」が脱ぎ捨てられていきました。脱ぎ捨てたあかつきに、待っていたものはなんだったでしょうか?新しい「翼」を手に入れた人もいるかもしれません。社会にはばたいていった人もおられるでしょう。そしてその一方で、翼も何も手に入れることができず、気付いたら裸のまま寒い夜空のもとでうずくまっていた、という方もおられたように思います。

 今、私たちの「生活保障」のあり方は明らかに転換期にあります。今回の政権交代はその象徴でした。小泉改革に代表される「構造改革」によって旧来の枠組み、「殻」が壊されていくと同時に、人々の「生活」も不安定化し、崩れていきました。小泉元首相は「創造的破壊」を言いましたが、その実態は「創造なき破壊」とも言われました。今回の政権交代は、その破壊にまったをかけ、新しい生活再建の方向を模索していくという意義があったのだと思います。私たちの生活、働き方、社会参加のあり方はどのような方向に向かっていくのがいいのでしょうか。

 著者宮本太郎さんは北海道大学教授。先日DPI日本会議の北海道大会にも全大会のシンポジウムにパネリストとして参加。障害者の自立生活運動にも理解と共感を示しておられる模様。一方で現在は福島瑞穂さん付きの内閣府参与として政権に関与。年末には、雇用緊急対策を論じる場である「雇用戦略対話」に有識者メンバ―として参加。そしてこの本『生活保障』は民主党議員たちの勉強会などでも使用されている模様。こう書くと民主党のお抱え学者のようだけれども、すでに旧麻生政権下においても、当時危機感を抱いていた自民党議員に請われて「安心社会実現会議」の委員となっており、すでにそこにおいて今後の生活保障のあり方について、この本に書かれているような基本骨格を提示していたらしい。いずれにしても、政治的な右、左の立場を問わず、今後の社会のあり方はいかなるものがいいのかを考えていきたい人にとって、この本から学ぶところは多いはずです。

 さしあたり目次を簡単に示すと、

1章 断層の拡がり、連帯の困難
2章 日本型生活保障とその解体
3章 スウェーデン型生活保障のゆくえ
4章 新しい生活保障とアクティベーション
5章 排除しない社会のかたち

となります。

 1章で、現代日本社会の課題等を論じます。民主党が政権をとり、政権交代が起きましたが今ここにきて、小沢問題等で政権運営に揺らぎが生じています。メディアが煽りすぎている印象がありますが、ともかく今の人々の多くは他人を叩くのが趣味の性癖をもっているようです。政治家は足の引っ張り合い。国民も足の引っ張り合い。互いに練磨するのではなく、互いに誹謗・中傷しあっている感じ。実は、そんな現象も、ひょっとしたら日本社会の政治構造とかに起因する部分もあるのかも、そんなことも書かれています。(しかしこのままだと、障がい者制度推進会議の存続も不安です。ぼくは今回の政権交代で、障害者施策に関しては「革命」が起きた、と考えています。推進会議は「革命政権」!)
 2章は、会社や家族を軸とした旧来の日本の生活保障のあり方と、その解体過程を論じています。
 3章で、著者のもともとの専門であるスウェーデン型の生活保障のことが紹介されています。いろいろ知らないことがあって勉強になります。(スウェーデンは、国民みんなに「労働」を強いる「就労原則」をもった国だそうで。)
 4章と5章が、「新しい生活保障」のかたちを示しているメインパート。「ベーシックインカム」のことも詳しく書かれていますが、ベーシックインカムが雇用と社会保障を分けて考えているのに対して、著者が推奨するのは雇用と社会保障を連結して考える「アクティベーション」という考え方。この「アクティベーション」という考え方によって、「排除しない社会」、「人々がそれぞれの多様な人生のプロジェクトを追求することを支え合う社会」(224)が成立すると論じられています。そうした社会のあり方に向けて、教育システム、家族のあり方、企業や産業のあり方、労働者待遇、非就労者の待遇など、さまざまな側面から議論されていきます。かなりの整合性をもって包括的な社会ビジョンを提示しているので、うーむなるほど、と唸らされます。

 もちろん著者の見解に必ずしも賛成できないところもあります。もともとどうだったかはあまり知りませんが、今回のこの本では、宮本さんはかなり「就労原則」を強調しています。社会保障の受給資格も、就労や求職活動を前提とするというような就労原則です。常に働く人に見返りがあるような社会を、と言っているような感じです。「生きる場」の確保というとても大切なことや「社会参加」のことも語られていますが、基本的に「就労を軸とした社会参加」が念頭にあるようで、その他の社会参加のことはあまり語られていません。つまり、働いていないとダメだぞ、という理念(ないし強迫)に基づいた社会が想定されているような印象です。人間の社会活動には、「遊び」や「無為」や「放蕩」も含まれると思うのですが、どうもそれらはあまり評価されていないようです。「アクティベーション」という考え方は、社会のために「活動的」であることを奨励する考え方と思いますが、人間は単に「活動的」なばかりではなく、受動的側面、受苦的側面もあるはずです。どうも著者の言う「アクティベーション」では人間のそうした側面が二次的にしか評価されないような気がします。「生きる場」というのは人間のそうした側面に基づく部分が多いと思うのですが、どうもそうした場でもアクティブであることが奨励されているようで、ちょっとしんどい感じです。

 ともあれ、著者の見解に賛同するにせよ反対するにせよ、今後考えるべき重要な論点が包括的に挙げられているので、いろいろ考えてみたいなぁ、と思っている方は手にとって読んでみてください。
(JCIL機関紙「自由人」65号掲載)


ps「居場所と出番」

鳩山首相所信表明演説で「居場所と出番」ということばを用いたそうです。
それはまさしくここで宮本太郎さんが言っている「アクティベーション」や「生きる場」といった考え方に近いものです。
鳩山首相の演説では、あるチョーク工場で一生懸命に働く障がい者の方々のことが例に挙げられています。
本当に一生懸命働くので、工場の社長がある席上で寺の住職に「なぜ一生懸命働くのでしょう」と質問したそうです。

「ものやお金があれば幸せだと思いますか。」続いて、
「人間の究極の幸せは四つです。
愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること。
働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです。」

社長は、それに加えて、「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」という感想を抱いたそうです。

つまり、「居場所と出番」でいう「出番」は「働く」ことであり、上の住職の発言から推測するに、人は働くことによってはじめてまわりのみんなに愛されたり、ほめられたりして、幸せがえられる。
逆に働かないことによってどうなるかは述べられていませんが、どうも働くことが幸せの前提となっている、そんな感じです。
ここでもアクティベーションに対する上の批判と同じことが言えると思います。
人は働くことによってしか幸せをえられないのでしょうか。

(首相の所信表明演説はこちら→http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/200910/26syosin.html

支援における死

パニック症状の激しい当事者を、数人の職員でおさえたという。
知的障害者の地域生活を強力に推し進めているとある団体のできごと。
外に飛び出したり、他傷行為もあるので、パニック時は職員が日常的におさえていたらしい。
そうしないと、本人の身体がもたない。
自分の身体などどうでもいいかのように、身体がどうなってもまるで無関係のごとく、すさまじい衝動により、全身で暴れる。
実際は会ってないけど、そんな感じなのだと思う。
そのときも、激しいパニックで、職員が数名でおさえた。
そして、気がつくと様子がおかしくなっており、救急車で運ばれ、その翌日亡くなったという。


支援における死の話しを最近ときどき聞く。

それは、病院でも施設でもなく、地域での日常生活の経過の中でおきたできごと。

いつ起きるかわからない。明日あさってにでもぼくの身近でおこるかもしれない。

だれだって、死に至ることをそのまま認めることはしない。
死は突然やってくる。
どの介助者、介護者がその場に立ち会うか。
その者の責任をどれだけ問いうるのか。
本人が車いすでつっぱしって、そのまま事故にあうかもしれない。
のどに食事をつまらせて、そのまま意識不明になるかもしれない。
脳梗塞脳卒中で、発見が遅れるかもしれない。


わたしたちは、その現場にむき出しの状態でのぞまなければならない。
その死は、直接私たちの目の前で起こり、そして、その後は一生を通じて何とかできたのではないかという悔悟の念に責めさいなまれる。
わたしたち介助者、介護者はその場に居合わせる可能性を常にもっている。


病院や施設では、死は、職員個人の責任問題としては「隠ぺい」される。
その死における個人の責任は問われないようなシステムになっている。
もし個人の責任が問われるならば、病院も施設も存続しえないだろう。
病院や施設は、死を「隠す」。

冒頭の、ある当事者の死も、地域でおきたこと、さらに、家庭内でもなく、公の場で起きたことだから、事件となり問題となった。
彼が施設に入っていたならば、原因不明の死として、そのまま闇に葬られていただろう。
死は施設というシステムにおいて隠ぺいされる。


死刑囚の死刑執行のとき、だれが殺したかわからないように、複数の人が同時にボタンを押すという。
どれか一つのボタンだけ発動することになっている。
どのボタンが発動するのかはコンピューターによってランダムに決定されるので、どの人の押したボタンによって死刑が執行されたかは、永久にわからないらしい。
システムは、そのようにして「死」を隠ぺいする。
だれかの「死」において、だれの責任も問われないようなシステムが作り上げられる。

死の隠ぺいは社会的合意の中で行われる。
社会は、死を隠ぺいすることによって機能しているのかもしれない。
死において、だれかの責任を問い続ける社会は、正常に機能しえなくなるのかもしれない。
生きている人々が生きていけなくなるのかもしれない。

病院や施設は、その隠ぺい機能をまかされた社会的装置なのだと思う。
だからここでの死はすべてごまかされる。隠される。
医師は何ができたか、看護師は何ができたか、最善を尽くしたのかどうか。
それを問い始めたら、人は磨滅して生きていけなくなる。
だからある程度の合意ラインの中で、彼らは生を手放す。
意図的に、しかしシステムの中では無感覚的に、彼らは他人を死にゆくにまかせる。
そのシステムの中では、親族も彼らを責めはしない。


地域での支援はときに、それらの生と死に直接個人が向き合わなければならなくなる。
個人が一生背負いこむものを引き受けなくてはならない可能性がある。
死が直接にその人を捕捉する可能性がある。

介助・介護を続けられなくなる者もでてくる。
この苦悩を味わわねばならないなら、若い人に介助者・介護者になることを勧められはしない、と思う者もいる。


介護職を専門職化し、地域を施設化することで、その苦悩を軽減していく方向性はある。
プロとして、死と向き合う。専門職という壁をつくって、死と向き合う。
死は壁の向こう側にあり、その死が自分に襲いかかるのを壁がある程度緩和してくれる。

死とは、直接に向き合うものだと思う。
死を隠ぺいするシステムはあまりない方がいいのだと思う。それは生の隠ぺいでもある気がする。
生は死と不即不離であり、死を隠ぺいした生は、すでにまた隠ぺいされているとも思う。
だから壁は低い方がいい。

背負うものは背負わねばならないのだと思う。
けど、その重荷が、少数の人にのしかかるのはいけないと思う。
人は、直接に数多くの死を受け止めることはできない。

生は死に刻印されている。
システムはそれをごまかす。
けど、ごまかしのない生、そして死を、人は生きていった方がいいのだと思う。

ケア研(土)と生きた思想家(日)

11月21日(土)に立命館生存学プロジェクトのケア研に参加した。
前田拓也さんの『介助現場の社会学』を題材に、著者含め4人+司会者で座談会を行った。
前日も朝まで飲んでしまったので、けっこうふらふらだったけど、ともかく本を読みとおして、メモをとってみて、その上で何人かでしゃべる機会をもてたので、いろいろ参考になった。
企画者の安部さんに感謝。
学者系院生の規範論、制度論には、正直距離を感じた。ただそれを感じることができただけでもありがたい。距離感から自分の位置がわかるような気が。。。
運動にかかわり、なにごとかをどうにかしていきたいと思っている人々は、まだやっぱり規範論、制度論の手前にいる。その人々の土壌があり、それを踏まえた上で、はじめて規範や制度も語っていくもんじゃないのかなぁ。
いきなり、そっちにいっちゃうと、ちょっと乱暴な、筋は通ってるのかもしれないけど、もろもろの豊かさをそぎおとしてしまう議論になっちゃう。
もちろんそちらにはそちらの文脈なり、たたかう相手がいるのかもしれないけど。

翌日は、知り合いの紹介で、とある介護者・フェミニストに出会った。
お名前だけはうかがっていたが、中途半端な知り方だったので、少々緊張した。
話し始めもぎくしゃくしていた。
ぎくしゃくしていたけど、だんだん共通の話しの地盤が成立していき、とてもとても豊かな話しができるようになっていった。
自立の話し、青い芝とCILの話し、ピープルの話し、介護者の主体の話し、サバイバーの話し、ハンメの話し、痛みと赦しの話し、闇と光の話しなどなど、昼過ぎから5時間、とても希有な時間を共有し、過ごすことができた。
これまで、フェミニストと呼ばれる方々に何名かお会いしてきたけど、はじめて「本物」のフェミニストと感じた。
はじめて(こういう表現が適切かどうかは知らないけど)、「女性」という他者に出会った。
ある「障害者」に出会ったとき、そこではじめて「障害者」という他者に出会ったときの経験に近い。
それは、ある「畏れ」の念とともに自分を揺るがし、そうして生じる畏敬の感情に近いのだろうか。
障害者なり、女性なりを「底」につきぬけ、そしてある種の普遍性に到達する。横塚晃一はそうした思想の持ち主だったと思うし、昨日会った方も、そうした実践、葛藤、生きざまを示していると思った。
文章を書くタイプではなく、生きた思想家に出会った、という印象。
ある自立障害者の介護を10数年続けているが、そこでの介護の思想は、やはりCIL系介助者とは一線を画す。

原義としての〈介助者〉、転義としての「介助者」とおとついのメモに書いたけど、この土日の経験は、その差異をある程度明白に認識できた気がする。

以下、土曜のケア研用のメモ。(自分用にアップしておきます。)


○手足論と〈介助者〉の自覚
「障害者の自己決定に関して、他者としての介助者が手段の確保というレベルで大きく影響して」いる。(p65)
「介助者は、自らが利用者の道具であることを自覚しながら、同時にそれぞれの立場やアイデンティティをもった「何者か」として障害者の生活に介入しているのだ。だから、介助者は「ノーバディ」ではいられない。介助者を単なる手足としてのみ語ることは、健常者を「ノーバディーでいられる」という「特権性」から引きずり下ろす営みであったはずの「自立生活」を巡る議論において、介助者を再び「ノーバディー」として位置づけることに等しいのだ。」(p81)
「介助者は「ノーバディ」としての健常者などではなく、現に介助の場において、アイデンティティやポジションをもった「何者か」として「障害者の自己決定」に介入してしまっている。そのことに自覚的であるなら、なおのこと「介助」をノーバディーとして語ることはできない。」(p83)
「だから、求められるのは、「介助者のリアリティ」を議論から排除することではなく、介助者にアイデンティティやポジションを自覚させた上でむしろ積極的に語らせることであり、また介助者もそのように語るべきなのだ」(p84)
(障害者という主体も完成したものではない。障害者側からの自己(非)決定の記述も望まれる?)


○違和感:「”社会をまるごと経験すること”としての介助」←通常は、言われたことを丁寧にやるだけでそこまで考えずにすんでいる。利用者の生活も、そこまで考えてもらわなくても十分にまわる。介助者も介助の仕事の時間を離れたら自分の時間がまっている。切り分け。

距離をとったままでも(無自覚なままでも)仕事は可能。すべてを職場の作法と受け止める。自分の日常にはもちこまない。労働力の商品化。
多くの人は、障害者という他者との関わりの「まるごとの経験」をあえてシャットアウトする。軽く流す。
健全者性の脱構築という意義をもたずに、生活のためにたんたんと仕事をこなす。(→マニュアル化へ?)
「介助者は、技術を通して障害者を理解したと思った途端、スルリと即興的にズラされ、かわされてしまう。」(P233)←マニュアル化が客の要望としたら?
施設職員の手を感じた=あっ、この利用者にはあんまりなめらかにやらない方がいいんだな。ワン・ノブ・ゼム。施設職員の手の使い分け。
介助サービスにおいて客の要求にあわせること/健全者性の脱構築 ←別の議論?

○出会い=介助者になる=健全者性の脱構築

〈介助者〉(原義)その場その場で行為遂行的に構成される主体、まず関係的概念

「介助者」(転義)固定的な存在、実体概念

「われわれの暮らしは、常に/すでに、介助者研修の場である。そうして、重要なのは、手足の淀みを契機として聞くことへの志向を開き、介助者を「研修中の身」へと何度も何度も立ち返らせることであるということになる。」(p240)


○「自覚」を介助労働の規範に組み込むかどうか。

「大事なのは本来は利用者が片付けるべきこと、利用者が面倒くさくてやらないことを私が代わりにやってあげているというふうに勘違いしないことです。部屋を片付けたいのはその利用者ではなく、介護者である自分なのです。」(『良い支援?』p189)
「逆に見ていて嫌な介護は、一見利用者に聞きながら利用者を満足させているように見えて、実は言葉巧みに介護者が利用者を自分のペースに付き合わせているような場面です。」(同p190)

○自己決定、縁を切る、生活の継続(生活の中心と周辺)
「だから、CILという場でおこなわれる有償の介助は、障害者と介助者とのあいだの「縁を切る」ことが前提とされており、また、そのことは同時に、介助者がいつかそのCIlを去っていくことが織り込み済みであることを示してもいよう。」(p289)←ほんまかな?
「時給制では良い介護者は育たない」(同p215)
生活の継続性の中心を担う介護者、その責任